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興福寺大乗院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2015年7月26日 (日) 時点における版
大乗院(だいじょういん)は、奈良県奈良市の法相宗興福寺の別当を務めた門跡寺院。廃絶。「飛鳥御殿」と呼ばれた。本尊は十一面観音、釈迦如来、阿弥陀如来(「興福寺諸堂縁起」)。(参考 同名寺院大乗院)
隆禅が寛治1年(1087)2月に創建。元は現在の奈良県庁あたりにあった。尋範が入寺して以来、摂家門跡となる。治承4年(1180)の平重衡の南都焼討で焼失。元興寺禅定院を譲り受けて移転。宝徳3年(1451)、徳政一揆で再び灰燼に帰した。翌年、関白一条兼良の子、尋尊が22歳で晋山。建物や庭園を復興させる様子は『大乗院寺社雑事記』に記録されている。 寛正6年(1465)から、将軍・足利義政の命で、善阿弥が作庭し、数十年かけて作られ、南都随一の名園と言われた。
明治維新で門跡は還俗し、松園男爵家となる。明治10年(1877)に土地建物が売却され、小学校や奈良ホテルの敷地となる。一部は大乗院庭園として復元され、当初の庭園が残存している。平成7年から発掘調査が行われた。
宮門跡であった一乗院と交互に興福寺別当を務めたが、石高を見ても、一乗院の下位にあったと思われる。「飛鳥御殿」と呼ばれたのは、禅定院の本坊である元興寺の旧名飛鳥寺に依るのだろうか。
(大乗院庭園しおり)