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真宗大谷派長浜別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 慶安2年(1649)、彦根藩主井伊直孝から現在地を与えられ本堂や大広間が整備された。寺伝では現在の本堂内陣や大広間は東本願寺創建時の御堂を承応元年(1652)に移築したと言われ、学術調査でもその可能性はあると考えられている。 | ||
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+ | *木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部 | ||
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2015年9月23日 (水) 時点における版
真宗大谷派長浜別院(しんしゅうおおたには・ながはま・べついん)は、滋賀県長浜市にある真宗大谷派の別院。大通寺。長浜御堂、長浜御坊。
歴史
湖北は浄土真宗が根付いた地域で、長浜別院は長浜町年寄の惣会所として建てられたのが始まりとされる。惣会所は慶長元年(1596)、長浜城内に移され、慶長11年以後には城外に土地を与えられて移転した。長浜御堂、長浜御坊と称された。大通寺の寺号は、12代教如が慶長7年(1602)ごろに許可したとも、東本願寺13代宣如が寛永13年(1636)に許可したともいう。
輪番で運営されたが寛永16年に宣如の息子霊瑞院宣澄を初代住職に迎えた。東本願寺住職の子息が住職につくことが通例となり、藩主井伊家の子息を迎えることもあった。
慶安2年(1649)、彦根藩主井伊直孝から現在地を与えられ本堂や大広間が整備された。寺伝では現在の本堂内陣や大広間は東本願寺創建時の御堂を承応元年(1652)に移築したと言われ、学術調査でもその可能性はあると考えられている。
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部