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熊本藩招魂社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''熊本藩招魂社'''は、[[京都霊山護国神社]]の[[霊山官修墳墓]]内にある熊本藩の戦死者18柱を祀る[[招魂社]]。1870年(明治3年)3月、熊本藩主細川韶邦が宮部鼎蔵らの神霊を祀って創建。明治百年の1968年(昭和43年)に河上彦斎、樋口良好、堤義次を、1986年(昭和61年)に横井小楠を合祀した(1986年(昭和61年) | + | '''熊本藩招魂社'''は、[[京都霊山護国神社]]の[[霊山官修墳墓]]内にある熊本藩の戦死者18柱を祀る[[招魂社]]。1870年(明治3年)3月、熊本藩主細川韶邦が宮部鼎蔵らの神霊を祀って創建。明治百年の1968年(昭和43年)に河上彦斎、樋口良好、堤義次を、1986年(昭和61年)に横井小楠を合祀した(1986年(昭和61年)10月設置の現地解説板)。社殿は簡素な切妻造の祠。1870年(明治3年)9月の銘がある「各名招魂碑」と河上、樋口、堤、横井の神霊碑などがある。 |
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2016年5月7日 (土) 時点における版
熊本藩招魂社は、京都霊山護国神社の霊山官修墳墓内にある熊本藩の戦死者18柱を祀る招魂社。1870年(明治3年)3月、熊本藩主細川韶邦が宮部鼎蔵らの神霊を祀って創建。明治百年の1968年(昭和43年)に河上彦斎、樋口良好、堤義次を、1986年(昭和61年)に横井小楠を合祀した(1986年(昭和61年)10月設置の現地解説板)。社殿は簡素な切妻造の祠。1870年(明治3年)9月の銘がある「各名招魂碑」と河上、樋口、堤、横井の神霊碑などがある。