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海龍王寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 唐から帰国した玄昉が入り、[[内道場]]となる。玄昉が帰国の際、海龍王経を唱えて助かったことから海龍王寺と名付けられた。 | ||
+ | 中世に衰退するが、[[叡尊]]が入り、復興。以後は[[西大寺]]末となる。 | ||
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2016年12月9日 (金) 時点における版
海龍王寺(かいりゅうおうじ)は、奈良県奈良市にある観音信仰の真言宗寺院。真言律宗西大寺派。光明皇后、玄昉、叡尊ゆかりの寺院。光明皇后の宮宅の隅にあったことから隅寺とも呼ばれる。法華寺に隣接する。
歴史
一説には土師氏の氏寺が起源。平城京遷都に伴い、この寺は藤原不比等の邸宅内に取り込まれた。天平3年(731)、皇后が伽藍整備。 唐から帰国した玄昉が入り、内道場となる。玄昉が帰国の際、海龍王経を唱えて助かったことから海龍王寺と名付けられた。 中世に衰退するが、叡尊が入り、復興。以後は西大寺末となる。