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坂田寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''坂田寺''' | + | '''坂田寺'''は、大和国高市郡の[[飛鳥]]にあった[[古代寺院]]。本尊は薬師如来。[[聖徳太子建立四十六寺]]の一つ。跡地は石舞台古墳の500m南にある。'''坂田尼寺'''、'''金剛寺'''、'''南淵寺 '''ともいう。(参考:同名寺院[[金剛寺]]) |
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+ | 明日香村阪田に後身を称する浄土宗金剛寺がある。 | ||
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2017年10月4日 (水) 時点における版
坂田寺は、大和国高市郡の飛鳥にあった古代寺院。本尊は薬師如来。聖徳太子建立四十六寺の一つ。跡地は石舞台古墳の500m南にある。坂田尼寺、金剛寺、南淵寺 ともいう。(参考:同名寺院金剛寺)
歴史
『日本書紀』用明天皇2年4月2日条に鞍部多須奈が天皇の病気平癒のために創建。 推古天皇14年5月5日条には鞍作止利が創建したともある。
平安時代には木幡寺の末寺になり、承安2年(1172)多武峰寺の末寺となった。のち興福寺末となった、 明日香村阪田に後身を称する浄土宗金剛寺がある。