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禅院寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2017年11月12日 (日) 時点における版
禅院寺(ぜんいんじ)は、飛鳥・平城京にあった古代寺院。元興寺(飛鳥寺)の別院。日本禅宗の最初の道場といわれる。 平城京では右京四条一坊にあった。元興寺禅院、元興寺東南禅院とも。元興寺関連旧跡。
歴史
創建
道昭が帰国後の天智天皇元年(662)3月に飛鳥寺の東南隅に創建。唐から請来した仏舎利や仏典を収蔵し、禅定の道場とした。道昭は二祖慧可法孫の慧満から学んだ禅をここで修したという。 禅院寺の名は薬師寺の「仏足石記」に記録がある。 本寺に先駆け、和銅4年(711)8月、飛鳥から平城京に移転。その後も大量の優れた経典を持つ寺院として尊重され、『延喜式』には禅院寺の経典の曝涼について規定されている。 平城京移転後、元興寺から独立していたが、 元慶元年(877)12月、再び元興寺別院となる。のち廃絶。禅定院が後身ともいう。
発掘
飛鳥の禅院寺跡は昭和54年(1979)に遺構が発見された。 (国史大辞典)