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毘沙門堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''毘沙門堂'''(びしゃもんどう)は、京都府京都市山科区にある、[[毘沙門信仰]]の[[天台宗]][[門跡寺院]]。本尊は毘沙門天。[[天台宗延暦寺派]][[天台宗の本山寺院|門跡寺]]。[[出雲寺]]が起源とされる。あるいは護法寺、尊重寺、平等寺を合併して成立したともいう。江戸時代に[[天海]]、公海が復興。'''毘沙門堂門跡'''。'''山科御殿'''。 | '''毘沙門堂'''(びしゃもんどう)は、京都府京都市山科区にある、[[毘沙門信仰]]の[[天台宗]][[門跡寺院]]。本尊は毘沙門天。[[天台宗延暦寺派]][[天台宗の本山寺院|門跡寺]]。[[出雲寺]]が起源とされる。あるいは護法寺、尊重寺、平等寺を合併して成立したともいう。江戸時代に[[天海]]、公海が復興。'''毘沙門堂門跡'''。'''山科御殿'''。 | ||
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+ | *[[養源院]]:毘沙門堂の脇門跡とされた(国史大辞典)。 | ||
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2018年4月25日 (水) 時点における版
毘沙門堂(びしゃもんどう)は、京都府京都市山科区にある、毘沙門信仰の天台宗門跡寺院。本尊は毘沙門天。天台宗延暦寺派門跡寺。出雲寺が起源とされる。あるいは護法寺、尊重寺、平等寺を合併して成立したともいう。江戸時代に天海、公海が復興。毘沙門堂門跡。山科御殿。
目次 |
伽藍
子院
- 養源院:毘沙門堂の脇門跡とされた(国史大辞典)。
組織
住職
- 明禅(1167-1242)<>:天台密教毘沙門堂流の祖の智海の弟子。あるいは明禅が毘沙門堂流の祖ともいう。晩年は浄土教に帰依し、法然門下の信空の弟子になったともいう。(高橋秀栄「毘沙門堂流の学匠たち」)
- 顕瑜()<>:
- 経海()<>:
- 公豪()<>:
- 実禅()<>:
- 実超()<>:
- 実尊()<>:
- 実救()<>:
- 実円()<>:
- 実修()<>:
- 公承(1406-1485)<>:三条実冬の子。天台座主。
- 明円()<>:
- 忠承()<>:
- 公意()<>:
- 覚真()<>:
- 観経()<>:
- 行然()<>:
- 仙雲()<>:
- 成尊()<>:
- 仙尊()<>:
- 遍豪()<>:
- 公厳()<>:
- 天海(1536-1643)<>:中興
- 公海(1607-1695)<>:花山院忠長の子。寛永寺2世。久遠寿院と号す。
- 公弁法親王(1669-1716)<>:後西天皇皇子。輪王寺門跡。天台座主。大明院と号す。
- 童形()<>:
- 公尊法親王()<>:
(『日本仏家人名辞書』) 『望月仏教大辞典』は少し異同がある。
- 中山玄秀(1879-1959)<>:天台座主。
- 梅山円了(1903-1997)<1978-1991>:天台座主254世。
- 森川宏映(1925-)<>:天台座主256世。
- 山中忍海()<>:宗務総長。聖衆来迎寺住職。毘沙門堂門跡門主。
- 61叡南覚範(1926-)<2007?->: