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真宗大谷派赤野井別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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寛文年間(1661-1673)、東本願寺14代琢如息子の'''恵明院如晴'''が入寺して'''赤野井御坊大恩寺'''と称する。現本堂は文化6年(1809)の再建。 | 寛文年間(1661-1673)、東本願寺14代琢如息子の'''恵明院如晴'''が入寺して'''赤野井御坊大恩寺'''と称する。現本堂は文化6年(1809)の再建。 | ||
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2020年11月28日 (土) 時点における版
真宗大谷派赤野井別院(しんしゅうおおたには・あかのい・べついん)は、滋賀県守山市にある真宗大谷派の別院。赤野井御坊。(参考:同名寺院赤野井別院)
歴史
教如の東本願寺創立に伴い、湖南地域の60寺が協力して創建された。 西本願寺に着いた本願寺赤野井別院を管理する一人だった伊賀坊了誓が離れて別に建てた御堂が起源という見方もある(日本歴史地名大系)。
寛文年間(1661-1673)、東本願寺14代琢如息子の恵明院如晴が入寺して赤野井御坊大恩寺と称する。現本堂は文化6年(1809)の再建。
教如御廟がある。 別院の東隣に専念寺がある。
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部