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不退寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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確実な初出は三代実録に860年(貞観2年)10月15日に[[超昇寺]]と共に施入された記事。 | 確実な初出は三代実録に860年(貞観2年)10月15日に[[超昇寺]]と共に施入された記事。 | ||
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1317年(文保1年)、現在の南門を造営。多宝塔も同じ頃に建立。 | 1317年(文保1年)、現在の南門を造営。多宝塔も同じ頃に建立。 | ||
1464年(寛正5年)、焼失。この後に再建されたのが現在の本堂。 | 1464年(寛正5年)、焼失。この後に再建されたのが現在の本堂。 |
2020年1月11日 (土) 時点における版
不退寺(ふたいじ)は、奈良県奈良市法蓮町にある、南都仏教・真言宗の寺院。本尊は聖観音。平城天皇、阿保親王、在原業平の三代ゆかりの寺。官寺二十五大寺の一つ。真言律宗西大寺派。不退転法輪寺。通称は業平寺。山号は金龍山。 関東祈祷所。
歴史
寺伝によると、809年(大同4年)、平城天皇の譲位後に移り住んだ萱の御所が前身。御所は皇子の阿保親王、その王子の在原業平と伝えられた。、業平は伊勢神宮に参詣。その時、天照大神の神勅を得て神鏡を授かった。そして847年(承和14年)、神鏡を奉じて御所を寺とし、観音像を彫って祀った。父の菩提寺とし、仁明天皇の勅願所となった。
確実な初出は三代実録に860年(貞観2年)10月15日に超昇寺と共に施入された記事。 1298年(永仁6年)、忍性の請願で関東祈祷所となる。この時までには西大寺末となっている。 1317年(文保1年)、現在の南門を造営。多宝塔も同じ頃に建立。 1464年(寛正5年)、焼失。この後に再建されたのが現在の本堂。 1472年(文明4年)、関白鷹司房平が葬られたが、墓は現存せず。 1602年(慶長7年)、寺領50石を寄進された。
本堂には業平自作と伝える本尊の観音の他、五大明王を祀る。 東脇には大神宮、西脇には阿保親王像、伊都内親王位牌、平城天皇位牌、大正天皇位牌、貞明皇后位牌などを祀る。 多宝塔は地蔵菩薩を祀る。上層部が失われている。 また付近の古墳から出土した石棺が移されている。
裏山の墓地には在原業平供養塔がある。 (『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』)