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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

不退寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年1月11日 (土)

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不退寺(ふたいじ)は、奈良県奈良市法蓮町にある、南都仏教真言宗の寺院。本尊は聖観音平城天皇阿保親王在原業平の三代ゆかりの寺。官寺二十五大寺の一つ。真言律宗西大寺派不退転法輪寺。通称は業平寺。山号は金龍山。 関東祈祷所

歴史

寺伝によると、809年(大同4年)、平城天皇の譲位後に移り住んだ萱の御所が前身。御所は皇子の阿保親王、その王子の在原業平と伝えられた。、業平は伊勢神宮に参詣。その時、天照大神の神勅を得て神鏡を授かった。そして847年(承和14年)、神鏡を奉じて御所を寺とし、観音像を彫って祀った。父の菩提寺とし、仁明天皇の勅願所となった。

確実な初出は三代実録に860年(貞観2年)10月15日に超昇寺と共に施入された記事。 1298年(永仁6年)、忍性の請願で関東祈祷所となる。この時までには西大寺末となっている。 1317年(文保1年)、現在の南門を造営。多宝塔も同じ頃に建立。 1464年(寛正5年)、焼失。この後に再建されたのが現在の本堂。 1472年(文明4年)、関白鷹司房平が葬られたが、墓は現存せず。 1602年(慶長7年)、寺領50石を寄進された。

本堂には業平自作と伝える本尊の観音の他、五大明王を祀る。 東脇には大神宮、西脇には阿保親王像、伊都内親王位牌、平城天皇位牌、大正天皇位牌、貞明皇后位牌などを祀る。 多宝塔は地蔵菩薩を祀る。上層部が失われている。 また付近の古墳から出土した石棺が移されている。

裏山の墓地には在原業平供養塔がある。 (『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%8D%E9%80%80%E5%AF%BA」より作成

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