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霊雲寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | * | + | *24一月正空:普化宗[[一月寺]]の法孫として生まれる。1904年生。自坊は地蔵寺。1917年霊雲寺で出家。真言宗立京都大学卒。駒澤大学卒。昭和6年地蔵寺住職。昭和24年霊雲寺派独立と共に宗務主事。昭和45年宗務長・執務長。1984年霊雲寺貫主。5世管長。1989年退任。1992/2月6日死去。87歳。 |
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2021年9月1日 (水) 時点における版
霊雲寺(れいうんじ)は、東京都文京区にある真言宗・律宗の本山寺院。本尊は両部2体の大日如来。江戸時代、戒律復興運動の先駆けとなった浄厳が将軍徳川綱吉の帰依を受けて創建した。関東真言律の本寺とされ、西大寺末の江戸触頭だった。新安祥寺流の拠点。現在は真言宗霊雲寺派総本山。大悲心院、仏日院と号す。通称は湯島霊雲寺。山号は宝林山。(参考:同名寺院霊雲寺_(同名))
目次 |
歴史
浄厳は、名声を聞いた将軍寵臣の柳沢吉保の推薦で徳川綱吉に謁見。江戸駐錫の地として湯島に3500坪を賜り、元禄4年(1691)、霊雲寺を創建。さらに元禄7年(1694)、関八州真言律の本寺と定められた。元禄10年に結縁灌頂を開き、9万人が集まったという。翌年1月には国家鎮護のために大元帥法を執り行った。
高崎・頼政神社が一時遷座していたことがある。
明治12年(1879)、内務省の要請を受けた真言宗は高野山大学林学頭で勧修寺門跡の釈雲照(渡辺雲照)を委員長として各派代表95人を霊雲寺に集め、教学の統一を話し合う大成会議を開催。雲照は戒律復興を掲げた。雲照は明治16年(1883)12月16日、戒律興隆のための結社として十善会を設立し、霊雲寺で大会を開いた。
明治19年(1886)、別格本山となる。関東大震災、東京大空襲で被災。近代には高野山の末寺となっていたが、昭和22年、高野山真言宗を離脱して真言宗霊雲寺派を設立した。
伽藍と塔頭
- 本堂:金剛界大日如来と胎蔵界大日如来を祀る。右に不動明王、左に愛染明王があった。昭和51年再建。灌頂堂とも。
- 祈祷殿:大元帥明王。徳川綱吉直筆の画像だった。堂宇と画像共に関東大震災で焼失。大元堂とも。
- 開山堂:江戸名所図会にはあるが、今はない。
- 鎮守:賀茂・稲荷・八幡を合祀。江戸名所図会にはあるが今はない。
- 妙極院:台東区池之端にある境外塔頭。浄厳の墓がある。
- 智厳院
- 五大院
- 蓮光院
- 宝光院
- 五智院
- 福厳院
組織
住職
- 1覚彦浄厳(1639-1702):教興寺、河内・延命寺を復興。弟子に契沖がいる。
- 2慧光(1666-1734):覚彦浄厳の弟子。のち東大寺戒壇院長老となる。(略歴は、東大寺戒壇院#組織を参照)
- 3慧曦(1679-1747)
- 4法明
- 5光海
- 6極妙
- 7霊麟
- 8智明
- 9円海
- 10常照
- 11智定
- 12義栄
- 13日野開塔:出家した河鍋暁斎が師事。
- 14智龍
- 15光野正行
- 16真融
- 17法麟
- 18宥厳
- 19教厳
- 20高山自宝
- 21大仙
- 22鈴木義定
- 23浅賀正弘
- 24一月正空:普化宗一月寺の法孫として生まれる。1904年生。自坊は地蔵寺。1917年霊雲寺で出家。真言宗立京都大学卒。駒澤大学卒。昭和6年地蔵寺住職。昭和24年霊雲寺派独立と共に宗務主事。昭和45年宗務長・執務長。1984年霊雲寺貫主。5世管長。1989年退任。1992/2月6日死去。87歳。
- 25瀬間智川
- 26羽生昌彦
- 27孝義
(『霊雲叢書解題』、霊雲寺ウェブサイトほか)
参考文献
- 霊雲寺ウェブサイト
- 真言密教聖典1915
- 天明、真言律宗霊雲寺末寺院牒
- 古事類苑