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正林寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[file:正林寺-01.jpeg|渋谷道の途中にある正林寺楼門|thumb|500px]] | [[file:正林寺-01.jpeg|渋谷道の途中にある正林寺楼門|thumb|500px]] | ||
- | '''正林寺'''(しょうりんじ)は京都府京都市東山区上馬町(山城国愛宕郡)にある[[法然旧跡]]の[[浄土宗]]寺院。[[法然]]の讃岐流罪の出発の地とされる。[[法然上人二十五霊場]] | + | '''正林寺'''(しょうりんじ)は京都府京都市東山区上馬町(山城国愛宕郡)にある[[法然旧跡]]の[[浄土宗]]寺院。[[法然]]の讃岐流罪の出発の地とされる。[[法然上人二十五霊場]]第14番。[[浄土宗知恩院派]]。'''小松谷正林寺'''。光明真言院。山号は清涼山。 |
もとは[[平重盛]]の邸宅で、48個の燈籠を掲げた[[燈籠堂]]という道場があったとされる。重盛は法然高弟の[[源智]]の祖父である。 | もとは[[平重盛]]の邸宅で、48個の燈籠を掲げた[[燈籠堂]]という道場があったとされる。重盛は法然高弟の[[源智]]の祖父である。 | ||
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応仁の乱で焼失。江戸時代の正徳年間に[[九条家]]の屋敷を移築して復興した。 | 応仁の乱で焼失。江戸時代の正徳年間に[[九条家]]の屋敷を移築して復興した。 | ||
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+ | ==伽藍== | ||
+ | *本堂:大師堂。本尊は法然、九条兼実(向かって右)、弁長。 | ||
+ | *阿弥陀堂:本尊は阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩。 | ||
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file:正林寺-03.jpeg|楼門 | file:正林寺-03.jpeg|楼門 | ||
file:正林寺-04.jpeg|楼門 | file:正林寺-04.jpeg|楼門 | ||
- | file:正林寺-05.jpeg| | + | file:正林寺-05.jpeg|本堂と阿弥陀堂 |
file:正林寺-06.jpeg|本堂と阿弥陀堂 | file:正林寺-06.jpeg|本堂と阿弥陀堂 | ||
file:正林寺-07.jpeg|阿弥陀堂法王殿 | file:正林寺-07.jpeg|阿弥陀堂法王殿 |
2022年11月26日 (土) 時点における版
正林寺(しょうりんじ)は京都府京都市東山区上馬町(山城国愛宕郡)にある法然旧跡の浄土宗寺院。法然の讃岐流罪の出発の地とされる。法然上人二十五霊場第14番。浄土宗知恩院派。小松谷正林寺。光明真言院。山号は清涼山。
もとは平重盛の邸宅で、48個の燈籠を掲げた燈籠堂という道場があったとされる。重盛は法然高弟の源智の祖父である。 重盛の死後、九条兼実の邸宅となり、配流が決まった法然の最後の場所となった。
応仁の乱で焼失。江戸時代の正徳年間に九条家の屋敷を移築して復興した。
伽藍
- 本堂:大師堂。本尊は法然、九条兼実(向かって右)、弁長。
- 阿弥陀堂:本尊は阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩。
- 祠: