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大津宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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『日本書紀』によると内裏、大殿、西小殿、宮門の他、[[大津宮仏殿|仏殿]]があったことが知られる。 | 『日本書紀』によると内裏、大殿、西小殿、宮門の他、[[大津宮仏殿|仏殿]]があったことが知られる。 | ||
- | * | + | *661年7月24日:斉明天皇が筑紫朝倉宮で崩御。中大兄皇子が称制として即位しないまま政治を司る。 |
- | * | + | *663年8月:白村江の戦いで百済救援軍、唐新羅連合軍に敗北。 |
- | * | + | *667年3月19日:中大兄皇子、近江遷都 |
+ | *668年1月3日:天智天皇、正式に即位。 | ||
+ | *671年1月:大友皇子、太政大臣となる。 | ||
+ | *671年9月:大海人皇子、近江を去り吉野に入る。 | ||
+ | *671年12月3日:天智天皇崩御。 | ||
+ | *672年6月22日:壬申の乱、勃発。 | ||
+ | *672年7月23日:壬申の乱終わる。大津宮陥落。大友皇子自害。廃絶後は大津は古津と改称。 | ||
+ | *672年9月:大海人皇子、飛鳥浄御原宮を造営。翌年即位。 | ||
+ | *761年10月11日:保良宮遷都にともない、粟津を大津と改称したとみられ、後世の混乱の元となる。 | ||
+ | *794年11月8日:桓武天皇、古津を大津に復称。 | ||
+ | *1870年:大友皇子の在位を認め、弘文天皇と諡号を贈る。 | ||
*1940年11月7日:近江神宮鎮座。 | *1940年11月7日:近江神宮鎮座。 | ||
*1974年:大津市錦織遺跡の発掘調査。大きな掘立柱建物跡が発見。 | *1974年:大津市錦織遺跡の発掘調査。大きな掘立柱建物跡が発見。 |
2022年11月28日 (月) 時点における版
大津宮は近江国滋賀郡にあった皇宮。天智天皇、弘文天皇の都。「大津京」と呼んでよいかどうかは議論がある
『日本書紀』によると内裏、大殿、西小殿、宮門の他、仏殿があったことが知られる。
- 661年7月24日:斉明天皇が筑紫朝倉宮で崩御。中大兄皇子が称制として即位しないまま政治を司る。
- 663年8月:白村江の戦いで百済救援軍、唐新羅連合軍に敗北。
- 667年3月19日:中大兄皇子、近江遷都
- 668年1月3日:天智天皇、正式に即位。
- 671年1月:大友皇子、太政大臣となる。
- 671年9月:大海人皇子、近江を去り吉野に入る。
- 671年12月3日:天智天皇崩御。
- 672年6月22日:壬申の乱、勃発。
- 672年7月23日:壬申の乱終わる。大津宮陥落。大友皇子自害。廃絶後は大津は古津と改称。
- 672年9月:大海人皇子、飛鳥浄御原宮を造営。翌年即位。
- 761年10月11日:保良宮遷都にともない、粟津を大津と改称したとみられ、後世の混乱の元となる。
- 794年11月8日:桓武天皇、古津を大津に復称。
- 1870年:大友皇子の在位を認め、弘文天皇と諡号を贈る。
- 1940年11月7日:近江神宮鎮座。
- 1974年:大津市錦織遺跡の発掘調査。大きな掘立柱建物跡が発見。