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吉祥院天満宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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934年(承平4年)、朱雀天皇の叡慮により菅原家跡地である当地に創建されたという。あるいはここは菅原氏の別邸で祖父菅原清公が氏寺'''吉祥院'''を建てた地ともいう。『扶桑略記』によれば1066年(治暦2年)3月28日に吉祥院に菅原道真の霊が遷されて天神堂が新たに造営されたともいう。1243年7月、桂川が氾濫し、氏長者の菅原為長が吉祥院を他所に移転させようとしたが、一夜にして小松が群生し、流出を免れた。この霊験で多くの参詣者を得たという。江戸時代には菅原氏の五条家が[[寺社伝奏]]を務めた。1873年(明治6年)6月、村社となる。1902年、現在の本殿を造営。吉祥院六斎念仏が著名である。 | 934年(承平4年)、朱雀天皇の叡慮により菅原家跡地である当地に創建されたという。あるいはここは菅原氏の別邸で祖父菅原清公が氏寺'''吉祥院'''を建てた地ともいう。『扶桑略記』によれば1066年(治暦2年)3月28日に吉祥院に菅原道真の霊が遷されて天神堂が新たに造営されたともいう。1243年7月、桂川が氾濫し、氏長者の菅原為長が吉祥院を他所に移転させようとしたが、一夜にして小松が群生し、流出を免れた。この霊験で多くの参詣者を得たという。江戸時代には菅原氏の五条家が[[寺社伝奏]]を務めた。1873年(明治6年)6月、村社となる。1902年、現在の本殿を造営。吉祥院六斎念仏が著名である。 | ||
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2023年12月17日 (日) 時点における版
吉祥院天満宮は京都府京都市南区吉祥院政所町(山城国紀伊郡)にある天満宮。菅原道真生誕地の菅原家別邸・氏寺「吉祥院」跡に鎮座する。「最初の天満宮」を称する。天満宮聖跡二十五霊社第四番。祭神は「菅大臣神霊」である[1]。村社。近くに北政所墓、菅原清公墓、菅原是善墓、香泉寺、三善院がある。天満宮聖跡二十五霊社
目次 |
歴史
934年(承平4年)、朱雀天皇の叡慮により菅原家跡地である当地に創建されたという。あるいはここは菅原氏の別邸で祖父菅原清公が氏寺吉祥院を建てた地ともいう。『扶桑略記』によれば1066年(治暦2年)3月28日に吉祥院に菅原道真の霊が遷されて天神堂が新たに造営されたともいう。1243年7月、桂川が氾濫し、氏長者の菅原為長が吉祥院を他所に移転させようとしたが、一夜にして小松が群生し、流出を免れた。この霊験で多くの参詣者を得たという。江戸時代には菅原氏の五条家が寺社伝奏を務めた。1873年(明治6年)6月、村社となる。1902年、現在の本殿を造営。吉祥院六斎念仏が著名である。
境内に菅原道真胞衣塚がある。
画像
参考文献
- 梅原達治1989(平成1)「松浦武四郎『聖跡二十五霊社順拝双六』」『札幌大学教養部教育研究』
- 『北野誌』「全国天満宮所在地一覧」
- 『日本歴史地名大系』
- 天満信仰#参考文献
脚注
- ↑ 『北野誌』「全国天満宮所在地一覧」17頁