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鹿児島藩の官祭招魂社と官修墳墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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鹿児島藩の[[官祭招魂社]]と[[官修墳墓]]。 | 鹿児島藩の[[官祭招魂社]]と[[官修墳墓]]。 | ||
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+ | ==歴史== | ||
+ | *1868年(明治1年):鹿児島藩主島津忠義、[[靖献霊社]]を創建。 | ||
+ | *1869年(明治2年)5月:京都の[[東福寺即宗院]]内に[[鹿児島藩招魂社]](石碑のみ)を建立。 | ||
+ | *1875年(明治8年)4月24日:官祭招魂社・官修墳墓制度、始まる(ただし「官祭招魂社」「官修墳墓」の呼称はまだない)。招魂社・墳墓について、官費支給の旨通達。 | ||
+ | *1877年(明治10年):西南戦争 | ||
+ | *1882年(明治15年):鹿児島県、各地の私祭招魂社を官祭とすることを内務省に上申[https://dl.ndl.go.jp/pid/1239981/1/286]。 | ||
+ | *1883年(明治16年)10月30日:県内10社が官祭招魂社となる[https://dl.ndl.go.jp/pid/1239981/1/286]。合計11社。 | ||
+ | *その後、5社が官祭招魂社に追加[https://dl.ndl.go.jp/pid/1239981/1/287]。合計16社。 | ||
+ | *1901年(明治34年)6月14日:官祭招魂社制度・官修墳墓制度が本格的に制定。招魂社・墳墓の官・私の区別を明示させる。 | ||
+ | *1913年(大正2年)11月28日:従来の社名を改め、地名を付して「官祭鹿児島招魂社」などと呼称することを定める[https://dl.ndl.go.jp/pid/1239981/1/287]。 | ||
+ | *1939年(昭和14年)4月:[[指定護国神社]]制度施行。 | ||
==鹿児島県内== | ==鹿児島県内== |
2024年5月28日 (火) 時点における版
目次 |
歴史
- 1868年(明治1年):鹿児島藩主島津忠義、靖献霊社を創建。
- 1869年(明治2年)5月:京都の東福寺即宗院内に鹿児島藩招魂社(石碑のみ)を建立。
- 1875年(明治8年)4月24日:官祭招魂社・官修墳墓制度、始まる(ただし「官祭招魂社」「官修墳墓」の呼称はまだない)。招魂社・墳墓について、官費支給の旨通達。
- 1877年(明治10年):西南戦争
- 1882年(明治15年):鹿児島県、各地の私祭招魂社を官祭とすることを内務省に上申[1]。
- 1883年(明治16年)10月30日:県内10社が官祭招魂社となる[2]。合計11社。
- その後、5社が官祭招魂社に追加[3]。合計16社。
- 1901年(明治34年)6月14日:官祭招魂社制度・官修墳墓制度が本格的に制定。招魂社・墳墓の官・私の区別を明示させる。
- 1913年(大正2年)11月28日:従来の社名を改め、地名を付して「官祭鹿児島招魂社」などと呼称することを定める[4]。
- 1939年(昭和14年)4月:指定護国神社制度施行。
鹿児島県内
- 鹿児島招魂社:
- 加治木招魂社:
- 枕崎招魂社:
- 加世田招魂社:
- 川辺招魂社:
- 串木野招魂社:
- 東市来招魂社:
- 伊集院招魂社:
- 伊作招魂社:
- 知覧招魂社:
- 西長島招魂社:
- 阿久根招魂社:
- 出水招魂社:
- 鹿屋招魂社:
- 谷山招魂社:
- 高城招魂社:
- 祇園之洲官修墳墓:
- 岩川官軍墓地:
- 鹿児島市松原町
- 指宿郡今和泉村城尾:
- 薩摩郡東水引村太平寺:
- 薩摩郡宮之城町屋地:
- 月照墓:候補地
県外
- 鹿児島藩招魂社
- 函館官修墳墓:合葬墓
- 新潟官修墳墓:合葬墓
- 高田官修墳墓:墓碑群
- 東明寺官軍墓地:合葬墓
- 鹿児島藩山形官修墳墓:合葬墓
- 大円寺官修墳墓?
- 相国寺官修墳墓:合葬墓
- 福山官修墳墓:合葬墓。ただし他と形状は異なる。