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甚目寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2014年12月19日 (金) 時点における版
善光寺遷座旧跡寺院。本尊観音菩薩は、善光寺如来とともに物部守屋に捨てられた仏像3体のうちの1体であるという。ちなみにもう1体の勢至菩薩は、太宰府・安楽寺(太宰府天満宮)にあると言われるが、太宰府にはそのような伝えはないようだ。
1582年(天正10年)6月、信長の子・織田信雄が岐阜から善光寺如来を遷座させる。のち1582年(天正10年)、徳川家康が鴨江寺に遷座させた。
現在、善光堂に善光寺如来も祀る。前庭に「善光寺如来御遷座紀念塔」がある。のちの大本願上人、智慶は甚目寺の尼僧だった。現在は真言宗智山派。