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武蔵・慈恩寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年6月8日 (月)
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- | '''慈恩寺'''(じおんじ)は、埼玉県さいたま市岩槻区にある、[[玄奘]]の遺骨を奉安する[[天台宗]]寺院。[[観音信仰]]の寺院で[[坂東三十三所観音霊場]]の第12番札所。[[円仁旧跡]]。本尊は'''千手観世音菩薩'''。[[天台宗延暦寺派]]。'''華林山慈恩寺''' | + | '''慈恩寺'''(じおんじ)は、埼玉県さいたま市岩槻区にある、[[玄奘]]の遺骨を奉安する[[天台宗]]寺院。[[観音信仰]]の寺院で[[坂東三十三所観音霊場]]の第12番札所。[[円仁旧跡]]。本尊は'''千手観世音菩薩'''。[[天台宗延暦寺派]]。'''華林山慈恩寺'''。(参考:同名寺院[[慈恩寺]]) |
天長元年(824)、[[円仁]]の創建。円仁が[[日光山]]からスモモを投げるとこの地に落ち、一夜にして大木になったという。名前は円仁が学んだ[[長安]]の[[大慈恩寺|慈恩寺]]に由来するという。本尊は円仁自刻のものがあったが焼失し、江戸時代に[[天海]]が[[比叡山]]より請来したという。戦時中、日本軍が南京から持ち帰った玄奘の遺骨を祀る十三重塔がある。奈良の[[薬師寺]]などに分骨された。(『古寺名刹大辞典』) | 天長元年(824)、[[円仁]]の創建。円仁が[[日光山]]からスモモを投げるとこの地に落ち、一夜にして大木になったという。名前は円仁が学んだ[[長安]]の[[大慈恩寺|慈恩寺]]に由来するという。本尊は円仁自刻のものがあったが焼失し、江戸時代に[[天海]]が[[比叡山]]より請来したという。戦時中、日本軍が南京から持ち帰った玄奘の遺骨を祀る十三重塔がある。奈良の[[薬師寺]]などに分骨された。(『古寺名刹大辞典』) | ||
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2015年6月8日 (月) 時点における最新版
慈恩寺(じおんじ)は、埼玉県さいたま市岩槻区にある、玄奘の遺骨を奉安する天台宗寺院。観音信仰の寺院で坂東三十三所観音霊場の第12番札所。円仁旧跡。本尊は千手観世音菩薩。天台宗延暦寺派。華林山慈恩寺。(参考:同名寺院慈恩寺)
天長元年(824)、円仁の創建。円仁が日光山からスモモを投げるとこの地に落ち、一夜にして大木になったという。名前は円仁が学んだ長安の慈恩寺に由来するという。本尊は円仁自刻のものがあったが焼失し、江戸時代に天海が比叡山より請来したという。戦時中、日本軍が南京から持ち帰った玄奘の遺骨を祀る十三重塔がある。奈良の薬師寺などに分骨された。(『古寺名刹大辞典』)