ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
鑑真旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
- | '''鑑真'''(がんじん)(688-763)は、[[律宗]]の渡来[[律宗の諸師旧跡|僧]]。日本律宗の開祖。[[律宗南山派]]の開祖[[道宣]]の孫弟子。中国揚州江陽県の出身。淳于氏。[[東大寺戒壇院]]や[[唐招提寺]]を創建。[[天台宗]] | + | '''鑑真'''(がんじん)(688-763)は、[[律宗]]の渡来[[律宗の諸師旧跡|僧]]。日本律宗の開祖。[[律宗南山派]]の開祖[[道宣]]の孫弟子。中国揚州江陽県の出身。淳于氏。[[東大寺戒壇院]]や[[唐招提寺]]を創建。[[天台宗]]の典籍を初めて請来した。著作は残していない。弟子に法進、思託、如宝がいる。墓所は唐招提寺にある。御影像が同寺御影堂、同寺開山堂、東大寺戒壇院千手堂などに祀られている。'''鑑真和上'''。通称は、'''過海大師'''、'''唐大和上'''。 |
== 略歴 == | == 略歴 == |
2016年6月25日 (土) 時点における版
鑑真(がんじん)(688-763)は、律宗の渡来僧。日本律宗の開祖。律宗南山派の開祖道宣の孫弟子。中国揚州江陽県の出身。淳于氏。東大寺戒壇院や唐招提寺を創建。天台宗の典籍を初めて請来した。著作は残していない。弟子に法進、思託、如宝がいる。墓所は唐招提寺にある。御影像が同寺御影堂、同寺開山堂、東大寺戒壇院千手堂などに祀られている。鑑真和上。通称は、過海大師、唐大和上。
目次 |
略歴
在唐時代
揚州・大雲寺智満に師事し出家。道宣弟子の道岸に菩薩戒を受け、実際寺で弘景から具足戒を受ける。融済、大亮に律宗や天台宗を学ぶ。故郷の揚州に戻り、大明寺に住す。742年(天平14年)、戒師を探しに日本から入唐した栄叡と普照の請願を受け、訪日を決意。5度の失敗を経て、753年(天平勝宝5年)、6度目の渡海で成功する。失敗の間でも教化活動に励み、在唐中に多数の仏像を造立し、大蔵経を30部も写経、4万回に渡り授戒を行ったという。
来日後
753年(天平勝宝5年)、薩摩国坊津に上陸。翌年、平城京に入った。同年4月、東大寺大仏殿前に設けられた仮設の戒壇で聖武上皇、光明皇后、孝謙天皇らに受戒。日本で初めて三師七証の授戒が行われた。翌年9月、東大寺戒壇院を創建。756年(天平勝宝8年)、大僧都に任命されたが、老齢のため退任。大和上となる。759年(天平宝字3年)、平城京右京五条二坊の地を与えられ、唐招提寺を創建した。
一覧
- 普陀山:風待ちで立ち寄る。
- 海南島:748年(天平20年)に渡海の失敗で漂着。
- 沖縄
- 種子島
- 屋久島
- 鑑真上陸地:鹿児島県南さつま市。薩摩国川辺郡。
- 大宰府
- 東大寺唐禅院
- 東大寺戒壇院:1733年(享保18年)造立の重文木造鑑真像(唐招提寺にある乾漆像の模造)が千手堂に祀られている。
- 唐招提寺
- 鑑真墓
典籍
- 『大唐伝戒師僧名記大和上鑑真伝』:没後まもなく編纂された伝記。3巻。鑑真に随行して来日した思託が記した伝記。『大和上伝』『大和尚伝』ともいう。淡海三船の著作に対して『広伝』ともいう。現存せず、逸文しか伝わらない。
- 『唐大和上東征伝』:淡海三船が思託の著作を元に再編集した伝記。779年(宝亀10年)。1巻。『鑑真和尚東征伝』『鑑真過海大師東征伝』『過海大師東征伝』『東征伝』ともいう。思託の著作に対して『略伝』ともいう。
- 『鑑真和上三異事』:孫弟子にあたる唐招提寺5世豊安が記した伝記。
- 『東征伝絵巻』:戒律復興に尽力した忍性が制作した伝記絵巻。1298年(永仁6年)成立。『唐大和上東征伝』と『鑑真和上三異事』を元に制作された。唐招提寺に奉納。同寺に現存して重文。『東征絵巻』『東征絵伝』ともいう。