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水間寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''水間寺'''(みずまでら)は、大阪府貝塚市水間にある[[観音信仰]]の[[天台宗]]寺院。本尊は聖観音。[[天台宗延暦寺派]][[特別寺]]。'''水間観音'''。和泉国南郡。山号は龍谷山。 | '''水間寺'''(みずまでら)は、大阪府貝塚市水間にある[[観音信仰]]の[[天台宗]]寺院。本尊は聖観音。[[天台宗延暦寺派]][[特別寺]]。'''水間観音'''。和泉国南郡。山号は龍谷山。 | ||
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1484年、根来衆の水間攻めが起こり、被害を受けた可能性がある。 | 1484年、根来衆の水間攻めが起こり、被害を受けた可能性がある。 | ||
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江戸時代には岸和田藩主に庇護された。延宝年間に金堂と鎮守社を復興。 | 江戸時代には岸和田藩主に庇護された。延宝年間に金堂と鎮守社を復興。 |
2018年9月28日 (金) 時点における版
水間寺(みずまでら)は、大阪府貝塚市水間にある観音信仰の天台宗寺院。本尊は聖観音。天台宗延暦寺派特別寺。水間観音。和泉国南郡。山号は龍谷山。
歴史
744年、聖武天皇の勅願で行基が創建。寺伝では行基建立四十九院の一つと伝える。
南北朝時代、当初は南朝に着き1351年の文書が残るが、1378年には北朝から庇護されている。
1484年、根来衆の水間攻めが起こり、被害を受けた可能性がある。 1585年、豊臣秀吉の根来寺攻めで根来方に着いた水間寺も焼き討ちにされ、焼失した。薬師堂と開山堂のみが残ったという。大和大福寺から移された梵鐘があったが、願泉寺に売り渡された。
江戸時代には岸和田藩主に庇護された。延宝年間に金堂と鎮守社を復興。 元禄年間に三重塔、護摩堂、食堂を建立した。 1784年、焼失。 1811年、本堂上棟 1827年に諸堂復興した。
伽藍
- 本堂
- 経堂
- 三重塔
- 愛染堂
- 薬師堂
- 弁天堂
- 開山堂
- 観音院
- 南の院