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札幌護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | *寺田密次郎()<>:受持神官。[[札幌神社]]宮司。のち[[平安神宮]]宮司。 | ||
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*反橋宏()<>:2010年(平成22年)1月5日死去。84歳。 | *反橋宏()<>:2010年(平成22年)1月5日死去。84歳。 |
2020年2月9日 (日) 時点における版
札幌護国神社(さっぽろ・ごこくじんじゃ)は、北海道札幌市中央区南15条西にある招魂社。祭神は北海道の石狩・日高・空知・後志・胆振支庁の戦没者など。西南戦争の忠魂碑を起源としている。護国神社様式の社殿で、千鳥破風が二重につき、拝殿左右に屋根があるなど、ほかの護国神社より複雑な姿をみせている。私祭招魂社。内務大臣指定護国神社。道内には他の指定護国神社として北海道護国神社、函館護国神社がある。札幌招魂社。占領中は札幌彰徳神社と称した。北海道・樺太の神社。
目次 |
祭神
2万5550柱(札幌護国神社ウェブサイト、2020年(令和2年)現在)。 殉職警察官、殉職消防官の霊を合祀も合祀。
過去のデータでは2万5211柱(『靖国神社百年史』)、2万5525柱(「全国護国神社一覧」、北海道神社庁ウェブサイト)
歴史
1879年(明治12年)2月20日、西南戦争で戦死した屯田兵を祀る「招魂碑」を北6条西7丁目の偕楽園前に建立。 1911年(明治44年)2月、中島公園に場所を移し、乃木希典揮毫による「忠魂碑」を建立。
1921年(大正10年)12月1日に拝殿を造営。1922年(大正11年)に札幌招魂社創立許可。碑の前に拝殿のみを建てており、本殿はなかったらしい。 1932年(昭和7年)7月の「招魂社調」『神社協会雑誌』に「私祭札幌招魂社」とあり、官祭招魂社ではないが、内務省に私祭招魂社として公認されたものだったことが分かる。1933年(昭和8年)に社殿を造営し、11月17日に遷座した。
1939年(昭和14年)4月に指定護国神社の最初の34社の一つとなり、札幌護国神社と改称した。 1946年(昭和21年)12月(4月30日とも)に札幌彰徳神社に改称したが、 1959年(昭和34年)7月1日に札幌護国神社に復した。
1968年(昭和43年)10月10日に不審火で焼失し、1970年(昭和45年)8月2日に再建、遷座祭が行われた。
(『日本歴史地名大系』ほか)
境内
- 本社:護国神社様式
- 多賀殿:祭神は伊邪那岐神・伊邪那美神。1949年(昭和24年)9月創建。多賀大社から分霊した。山鼻神社合祀。
- 慰霊碑群:起源となる屯田兵招魂碑や忠魂碑もある。