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尾山神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
尾山神社 おやま じんじゃ | |
神門とは対照的に古風な拝殿 | |
概要 | 著名な戦国大名を奉斎する神社。 |
奉斎 | 前田利家 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 石川県金沢市尾山町11-1 |
所在地(旧国郡) | |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 別格官幣社・別表神社 |
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尾山神社(おやま・じんじゃ)は、石川県金沢市にある前田利家を祀る霊社。前田利家は戦国時代末期の武将で、金沢藩主前田家の始祖。奇抜なデザインの神門が有名。前田利長以後の歴代当主と正室を祀る摂社金谷神社がある。利家の墓は、南南東4.4kmの前田家野田山墓地にある。
目次 |
歴史
卯辰八幡宮が前身。卯辰山八幡宮は越中守山の海老坂八幡宮と榊葉神明宮(乎布神社)を分霊したものとされるが、人神を祀ることをはばかるところがあってカモフラージュしたものという。1604年(慶長9年)や1651年(慶安4年)に、卯辰八幡宮で前田利家の祭祀が行われた記録がある。1848年(嘉永1年)の250年祭の時には「御霊社」があったとの記録もあり、明確なことは不明だが、卯辰八幡宮に前田利家を祀っていたと推定されている。
幕末から財政逼迫で藩からの経費支給がなくなり、社殿が荒廃。1871年(明治4年)1月には御神体を卯辰八幡宮から卯辰神社に遷座せざるをえない状況にあった。旧家臣らが協議し金谷御殿跡に新しい神社を建てることを決定。 1873年(明治6年)3月14日、社名を尾山神社とし、社格は郷社、祭神は前田利家を主祭神で、相殿に「物部八幡大神」とすることが石川県から達せられる。10月22日、神体が仏像であるため物部八幡大神を祭神から取り除くように定められた。11月16日正午、仮奉安されていた卯辰神社から御神体を遷座。尾山神社が成立した。
1874年(明治7年)2月14日、県社昇格。 1879年(明治12年)9月26日、祖霊社創建。 1902年(明治35年)4月26日、別格官幣社に昇格した。1881年(明治14年)から昇格運動を続けていた。 1998年(平成10年)、お松の方を合祀した。
分社として北海道岩内郡共和町の前田神社がある。
組織
祠官
- 1前田直信()<>:初代祠官。
- 2奥村栄滋()<>:
- 3加藤里路()<>:
宮司
- 1奥村栄滋(1853-1923)<>:初代宮司。金沢藩家老の家に生まれる。明治31年、金沢市長。
- 2前田孝()<-1923->:
- 3高橋章允()<>:1936年(昭和11年)から1939年(昭和14年)まで尾山神社宮司。(略歴は弥彦神社#組織を参照)
- 4糸永新()<>:
- 5白岩秀夫()<>:1942年(昭和17年)11月1日在職。土佐神社宮司。
- 6前田孝行()<>:
- 7石黒文吉()<>:
- 8鏑木勢岐()<>: