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忌宮神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年8月20日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
忌宮神社 いみのみや じんじゃ | |
「豊浦皇居跡」碑 | |
概要 | 仲哀天皇行宮の豊浦宮旧跡に鎮座する神社。仲哀天皇霊廟。 |
奉斎 | 仲哀天皇、神功皇后、応神天皇 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 山口県下関市長府宮の内町1-18 |
所在地(旧国郡) | 長門国豊浦郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・国幣小社・別表神社 |
関連記事 | 仲哀天皇旧跡・神功皇后旧跡・八幡信仰 |
目次 |
概要
歴史
境内
格式 | 神社名 | 祭神 | 所在地 | 概要 |
---|---|---|---|---|
本社 | 忌宮神社 | 仲哀天皇・神功皇后・応神天皇 | 本社 | 現在の社殿は1877年(明治10年)6月に造営し、改修したもの。 |
別宮 | 若宮社 | 仁徳天皇 | 本社西隣 | |
別宮 | 高良社 | 地主大神・武内宿禰 | 本社東隣 | |
摂社 | 八坂神社 | 八坂神社、春日神社、日吉神社、三島神社、印内神社、大歳神社2社、恵比寿神社、人丸神社、貴船神社2社、塩竈神社、河内神社ほか | 境内西側 | 明治初年に秋葉神社など合祀。さらに1904年(明治37年)4月から1911年(明治44年)2月にかけて周辺の神社が合祀された。社殿は野久留米の塩竈神社の旧社殿。 |
摂社 | 惣社宮 | 大己貴神・天神地祇 | 山口県下関市長府惣社町 | 長門国総社。守護館(現・長府毛利邸)付近に祀られていたが、1965年(昭和40年)代に忌宮神社に一時合祀された。1980年(昭和55年)現在地に遷座。 |
摂社 | 守宮司神社 | 応神天皇 | 山口県下関市長府惣社町 | 創建由緒など不詳。御斎神事に関わりの深い神社。 |
末社 | 荒熊稲荷神社 | 宇迦之御魂大神・厳島社 | 境内東側 | 文化文政年間、毛利元義が参勤交代で江戸から帰る途中、伏見稲荷大社から分霊を奉じて祀ったのが始まり。1848年(嘉永1年)現在地に遷座した。1990年(平成2年)11月、社殿造営。奉納相撲が行われている。厳島社(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)を配祀。 |
その他 | 逆松 | 境内東側 | 神功皇后の手植えの松という。神功皇后が三韓出兵に際して七日七夜神々に祈願し、戦勝を占って松の若木を逆さまにして植えたところ繁り栄えた。 | |
その他 | 鬼石 | 広庭 | 日本に攻めてきた塵輪という名の新羅の武将を討ち取り、首を埋めてその上に石を置いたもの。塵輪の顔が鬼に似ていたため鬼石と呼んだという。歓喜の余り、塵輪の遺体のまわりを踊り廻ったのが数方庭行事の起源という。 | |
その他 | 宿禰公孫樹 | 広庭 | 武内宿禰の手植えのイチョウという。 | |
その他 | 豊浦皇居跡碑 | 境内西側 | ||
その他 | 満干島 | 山口県下関市長府沖 | 長府沖合に浮かぶ二つの島。満珠島と干珠島。忌宮神社の飛地境内。神功皇后が豊浦津に泊まった時に満珠・干珠の如意の珠を得た場所、あるいは新羅凱旋の時に如意の珠を収めた場所という。如意宝珠信仰。神社の古地図では陸に近い島を「満珠島」、遠い島を「干珠島」と呼ぶが、文化財指定では呼称が逆になっている。 | |
関連 | 仲哀天皇殯斂地 | 仲哀天皇 | 山口県下関市長府侍町 | 宮内庁管理。 |
組織
大宮司
武内家(竹内、竹中とも)が世襲。名前からして武内宿禰の末裔か。
宮司
- 吉村清享(1873-1929)<1915-1918>:山口県出身の神職。1915年(大正4年)12月22日から1918年(大正7年)10月28日まで忌宮神社宮司。(略歴は長田神社#組織を参照)
- 礒部稜威雄
- 鳴瀬嘉貞
- 宮崎義敬
- 松島浅之助
- 磯部正明
豊功神社から見た満干島 |
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参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』