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美国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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美国神社(びくに・じんじゃ)は、兵庫県宍粟市山崎町木ノ谷(播磨国宍粟郡)にある生野の変の殉難者を祀る招魂社。大山祇命と火迦具土命を祀る山神社に非公式に美玉三平・中島太郎兵衛・黒田与一郎を合祀したものらしい。美玉三平・中島太郎兵衛の殉難の地で、両名の墓碑がある。無格社。正式名称は山神社。官軍殉難者奉斎招魂社。
祭神
殉難者3柱を合祀した時期は不明。山口護国神社も参照。『兵庫県宍粟郡誌』[1]や兵庫県神社庁ウェブサイトの該当ページには祭神に殉難者は含まれていない[2][3]。
- 大山祇命:
- 火迦具土命:1909年(明治42年)3月2日に合祀。
- 美玉三平:鹿児島藩士。本名は高橋親輔。1863年(文久3年)10月14日戦死。贈従四位。山口招魂社官祭祭神。靖国神社合祀。美国神社に墓碑。
- 中島太郎兵衛重孝:養父郡の大庄屋の家の出身。1863年(文久3年)10月14日自刃。贈従四位。山口招魂社私祭祭神。靖国神社合祀。生家近くに墓。美国神社に墓碑。
- 黒田与一郎重清:中島太郎兵衛の弟。兄を介錯した後、捕縛された。1866年(慶応2年)12月19日、京都六角獄舎で獄死。山口招魂社私祭祭神。靖国神社合祀。霊山官修墳墓唱義7号。生家近くに墓。
歴史
- 1863年(文久3年)8月17日:(天忠組挙兵)
- 1863年(文久3年)8月18日:八月十八日の政変
- 1863年(文久3年)10月12日:生野挙兵。
- 1863年(文久3年)10月14日:美玉三平・中島太郎兵衛、戦死。
- 1863年(文久3年)10月18日:二人の遺骸を生野の代官所の牢内に仮埋葬[https://dl.ndl.go.jp/pid/8797852/1/31
- 1864年(元治1年)1月5日:黒田与一郎ら捕縛された参加者、連行され但馬を出発。17日頃に京都に到着。[4]
- 1864年(元治1年)7月19日:禁門の変。六角獄舎で混乱に乗じて33人が殺害されるが、黒田与一郎は難を逃れる。[5]
- 1866年(慶応2年)12月19日:黒田与一郎、六角獄舎で病死。[6]
- 1888年(明治21年)9月:二人の墓碑建立を計画[7]。
- 1891年(明治24年):墓碑完成[8]。
- 1909年(明治42年)3月2日:火魂神社を合祀[9]。