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真宗大谷派函館別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2015年9月20日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
真宗大谷派函館別院(しんしゅうおおたには・はこだて・べついん)は、北海道函館市にある真宗大谷派の別院。旧称は浄玄寺。箱館御坊。
松前専念寺の浄玄が寛文8年(1668)に現在の上磯郡木古内町内に支坊を開いたのが始まり。箱館が港として発展すると、宝永7年(1710)箱館に移転した。 宝暦9年(1759)に公称許可を得て浄玄寺と称した。文政12年(1829)に火災で本堂焼失したが。天保9年(1838)に「北海道随一」と呼ばれる巨大な伽藍を再建。ペリーの日記にも記録がある。
安政元年(1854)に日米和親条約で箱館が開港すると、本山東本願寺はこの地の教化を企図し、安政5年(1858)浄玄寺を借り上げ箱館御坊とした。箱館戦争では旧幕府軍の本陣となった。
明治6年、御坊は管刹と改称、さらに制度改正で9年10月1日に別院となった。同年7月の明治天皇北海道行幸では行在所となった。12年12月、函館大火で焼失。すぐに仮堂が建てられたが、区画整理により移転を迫られた。新たに設定された船見町の寺町でなく、キリスト教教会が並ぶ元町を新たな土地とした。22年8月1日、本山から大谷光勝刻の親鸞像が奉迎され、翌年10月に竣工した。本尊と親鸞像を並べて祀る特殊な内陣様式を持つ本堂は、巨大で壮麗なものだったが、明治40年8月の大火で焼失した。 現在の本堂は焼失から8年後の大正4年(1915)に再建されたもので、鉄筋コンクリートで造られた日本最初の本堂という。
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』