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山城・神応寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2021年12月22日 (水) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
神応寺(じんのうじ)は、京都府八幡市八幡西高坊にある曹洞宗寺院。本尊は薬師如来。石清水八幡宮関連旧跡。山号は糸杉山。(参考:同名寺院神応寺)
貞観年間、石清水八幡宮鎮座の後、行教が創建し、応神天皇(八幡大神)の位牌所として応神寺と称したという。当初は
天台宗、真言宗、法相宗、律宗の四宗兼学だったという。
曹洞宗峩山派の寺院となり、神応寺と改称した。
禅宗に傾倒した足利家の影響によるものともいう。足利家は行教作の不動明王を奥之院に祀り、別に釈迦如来を本尊とした。
天禄年間に郭翁鈞然が常法堂を設け、叢林を盛んにして曹洞宗の名刹として興隆した。
石清水八幡宮に奉仕することなく、神領内にありながら独自の寺院運営をおこなった。
慶長年間には小牧市正眼寺の末寺となった。
中興2世の弓箴善疆(高台寺開山)は豊臣秀吉と同郷で朱印地を寄進された。その縁で秀吉像を祀る。
朱印地150石。
徳川綱吉が不動尊を帰依。
道之の時代に奇瑞があり本尊を釈迦如来から薬師如来に改めた。
神仏分離で廃絶となった石清水八幡宮開山堂にあった行教像が移されて現存する。
伽藍
- 本堂:
- 開山堂:行教像を祀る
- 禅堂:
- 書院:伏見城の遺構と伝える。
- 杉山谷不動尊:
- 行教墓
- 淀屋辰五郎墓
- 二宮忠八墓
- 長沢芦雪墓