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真宗大谷派函館別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
真宗大谷派函館別院(しんしゅうおおたには・はこだて・べついん)は、北海道函館市にある真宗大谷派の別院。江差別院とともに松前・専念寺の支坊に起源する、前近代創建の古刹である。旧称は浄玄寺。箱館御坊。明治天皇行在所。
松前専念寺住職の浄玄が寛文8年(1668)に木古内(上磯郡木古内町)に支坊を開いたのが始まり。箱館が港として発展すると、宝永7年(1710)箱館に移転した。宝暦9年(1759)に公称許可を得て浄玄寺と称した。文政12年(1829)に火災で本堂焼失したが天保9年(1838)に「北海道随一」と呼ばれる巨大な伽藍を再建された。壮大な伽藍はペリーの日記にも記録がある。
安政元年(1854)に日米和親条約で箱館が開港すると、本山東本願寺はこの地の教化を企図し、安政5年(1858)浄玄寺を借り上げ箱館御坊とした。箱館戦争では、東本願寺は徳川家と近い立場にあることから箱館御坊は旧幕府軍の本陣となった。
明治6年、御坊は管刹と改称、さらに制度改正で9年10月1日に別院となった。同年7月の明治天皇の北海道行幸では行在所となった。12年12月、函館大火で焼失。すぐに仮堂が建てられたが、区画整理により移転を迫られた。別院では新たに計画された船見町の寺町でなく、キリスト教教会が並ぶ元町を新たな土地とした。22年8月1日、本山から管長大谷光勝刻の親鸞像が奉迎され、翌年10月に竣工した。本尊と親鸞像を並べて祀る特殊な内陣様式を持つ本堂は、巨大で壮麗なものだったが、明治40年8月の大火で再び焼失した。現在の本堂は焼失から8年後の大正4年(1915)に再建されたもので、鉄筋コンクリートで造られた日本最初の本堂という。現在も二尊を並べて祀る様式が残されている。
明治44年(1911)、支院だった根室支院が独立して根室別院となり、大正7年(1918)には帯広支院が帯広別院となった。平成24年(2012)現在、千歳支院、船見支院、本町支院、海岸支院、東山支院がある。
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部