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チョウ然旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2017年12月15日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
奝然(チョウ然)(ちょうねん)(938-1016)は、清凉寺如来を中国から日本に請来した真言宗僧侶。東大寺出身。宋皇帝から法済大師号を下賜される。
京都出身。藤原真連の子。東南院観理に三論宗を、石山寺元杲に密教を学ぶ。983年(永観1年)弟子の盛算、祚壱、嘉因らと共に入宋。天台山参拝に続いて翌雍煕元年(984)、皇帝太宗に謁見。紫衣を賜い、法済大師号を下賜される。太平興国寺に住す。勅を得て入宋の目的である五台山に参拝。都に戻り、太宗から『新印大蔵経』下賜。聖禅院で優填王の刻んだ釈迦像に拝礼。この模刻を造り、987年(永延1年)に帰国。愛宕山に清凉寺創建を発願。989年(永祚1年)7月10日、東大寺別当59世に任命。991年(正暦2年)には大仏殿で大般若経転読。同年辞任。1016年(長和5年)3月16日死去。死後、弟子の盛算が清凉寺創建を実現する。