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河陽宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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河陽宮(かやのみや)は山城国乙訓郡(京都府乙訓郡大山崎町大山崎)にあった離宮。跡地は離宮八幡宮。河陽離宮。山崎離宮(山埼離宮)ともいう。
歴史
山崎は古来から水陸交通の要衝で、過去には孝徳天皇の山崎宮や行基建立四十九院の一つ山崎院があった。嵯峨天皇がこの地を河陽と名付け、離宮を設けた。『日本後紀』の813年(弘仁4年)2月16日に「山埼駅を行宮となす」とあるのが初見で、『類聚国史』の814年(弘仁5年)2月17日に「山埼離宮」とあり、同書の819年(弘仁10年)2月21日に「河陽宮」とある。831年(天長8年)に淳和天皇が、845年(承和12年)には仁明天皇が行幸している。861年(貞観3年)、第四次山城国府が設置された。866年(貞観8年)閏3月27日、僧21人が大般若経転読(『三代実録』)。908年(延喜8年)に山城国に移管され、離宮としては廃止となった。山城・相応寺などが付属。南門の先に山崎橋があったらしく、行基が建てた山崎橋の後身と考えられている。(『国史大辞典』『日本歴史地名大系』)