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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

離宮八幡宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年9月1日 (土)

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離宮八幡宮(りきゅう・はちまんぐう)は京都府乙訓郡大山崎町にある八幡信仰の神社。祭神は応神天皇・酒解神・田心姫神・市杵島姫命・湍津姫命。石清水八幡宮関連旧跡河陽宮の跡地という。府社大山崎離宮八幡宮とも呼ばれた。

歴史

『石清水八幡宮護国寺略記』によると859年(貞観1年)8月、宇佐八幡宮から迎えた八幡神が男山にに鎮座する直前にこの場所に一時奉斎したという。実際の創建は室町時代以降とも言われる。 祭神に含む酒解神は、神社の北の天王山にある自玉手祭来酒解神社を分霊したものと思われる。

山崎では古代から胡麻油の生産が行われていたが、中世以降、発展。離宮八幡宮に所属し、石清水八幡宮の燈油を調進する神人として油の専売特権を得た。大山崎神人と呼ばれた。1222年(貞応1年)には不破関通行証を得た。豊臣秀吉の頃に専売特許は廃止された。

1635年(寛永12年)、社殿再建。1670年(寛文10年)風水害で破損。1695年(元禄8年)再建。

この頃、石清水八幡宮と争論となる。石清水八幡宮は離宮八幡宮は当社の行宮だと主張し対立。離宮八幡宮が「石清水八幡宮」の名を使うことも糾弾した。1697年(元禄10年)に幕府が判決を出し、離宮八幡宮に「石清水」の文字の使用を禁止する一方、石清水八幡宮から独立する形となった。

1864年(元治1年)、禁門の変で京都から落ちた山口藩兵が駐屯。戦場となり焼失した。

(『国史大辞典』『日本歴史地名大系』)


社殿


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