ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
五流尊瀧院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
(?歴代住職) |
|||
14行: | 14行: | ||
*35宮家晋(?-1907):隆興の子。 | *35宮家晋(?-1907):隆興の子。 | ||
*36宮家教誉(1898-1991)<1924-1991>:修験道本庁初代管長。初名は龍興。晋の甥。 | *36宮家教誉(1898-1991)<1924-1991>:修験道本庁初代管長。初名は龍興。晋の甥。 | ||
- | *宮家道玄(1922- | + | *宮家道玄(1922-):修験道本庁2代管長。京都大学卒。教誉の長女と結婚して、三宅信徳と名乗り、のち宮家信徳と名乗る。 |
- | * | + | *37宮家堯仁(1933-)<2012->:教誉の兄の子。母は[[法然]]の実家とされる立石家。教誉の養子となる。宮家準として知られる。修験道本庁3代管長。 |
[[Category:岡山県]] | [[Category:岡山県]] |
2018年1月11日 (木) 時点における版
五流尊瀧院(ごりゅうそんりゅういん)は岡山県倉敷市にある修験道本山派の本山寺院。修験道本庁の総本山。倉敷・熊野神社に長床衆として奉仕した。五流尊瀧院関連旧跡。
組織
歴代住職
- 頼仁親王(1201-1264):児島修験の開祖。後鳥羽天皇皇子。承久の乱に関わった罪で備前児島に流され、五流尊瀧院を中興。冷泉宮、児島宮。
- 覚仁法親王(1198-1266):後鳥羽天皇皇子。熊野三山検校。新熊野検校。後嵯峨上皇の熊野行幸の先達を務めた。五流尊瀧院を中興。
- 道乗
- 澄意
- 頼宴
- 34隆興
- 35宮家晋(?-1907):隆興の子。
- 36宮家教誉(1898-1991)<1924-1991>:修験道本庁初代管長。初名は龍興。晋の甥。
- 宮家道玄(1922-):修験道本庁2代管長。京都大学卒。教誉の長女と結婚して、三宅信徳と名乗り、のち宮家信徳と名乗る。
- 37宮家堯仁(1933-)<2012->:教誉の兄の子。母は法然の実家とされる立石家。教誉の養子となる。宮家準として知られる。修験道本庁3代管長。