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五流尊瀧院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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五流尊瀧院(ごりゅうそんりゅういん)は岡山県倉敷市にある修験道本山派の本山寺院。修験道本庁の総本山。倉敷・熊野神社に長床衆として奉仕した。五流尊瀧院関連旧跡。
組織
歴代住職
- 1頼仁親王(1201-1264):児島修験の開祖。後鳥羽天皇皇子。承久の乱に関わった罪で備前児島に流され、五流尊瀧院を中興。冷泉宮、児島宮。
- 覚仁法親王(1198-1266):後鳥羽天皇皇子。熊野三山検校。新熊野検校。後嵯峨上皇の熊野行幸の先達を務めた。五流尊瀧院を中興。
- 2道乗
- 3澄意
- 4頼宴
- 秀賢
- 29玄興
- 30覚道
- 31玄鑑
- 32抽興
- 33元興
- 34隆興
- 35宮家晋(?-1907):隆興の子。
- 36宮家教誉(1898-1991)<1924-1991>:修験道本庁初代管長。初名は龍興。晋の甥。
- 宮家道玄(1922-):修験道本庁2代管長。京都大学卒。教誉の長女と結婚して、三宅信徳と名乗り、のち宮家信徳と名乗る。
- 37宮家堯仁(1933-)<2012->:教誉の兄の子。母は法然の実家とされる立石家。教誉の養子となる。宮家準として知られる。修験道本庁3代管長。