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京都・円満寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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当初は[[北野天満宮]]門前町の上七軒通の東端近くの北側(京都市上京区毘沙門町周辺)にあった。[[金山天王寺]]の西隣にあった。 | 当初は[[北野天満宮]]門前町の上七軒通の東端近くの北側(京都市上京区毘沙門町周辺)にあった。[[金山天王寺]]の西隣にあった。 |
2022年9月12日 (月) 時点における版
円満寺は京都にあった融通念仏宗寺院。大念仏寺の里坊として、住職の滞在所としての役割と共に朝廷や公家社会に対応する窓口となった。住職はおらず、大念仏寺の役僧が留守居として派遣された。1702年、大通の創建。明治初年に廃絶。山号は大禅山。(参考:同名寺院円満寺)
当初は北野天満宮門前町の上七軒通の東端近くの北側(京都市上京区毘沙門町周辺)にあった。金山天王寺の西隣にあった。 大火で焼失後、七本松通の東側に移転。現在の地福寺の北隣あたり(京都市上京区七番町周辺)にあった。 明治初年に廃絶した。 痕跡はない。
- 「近世京都における融通念佛宗寺院の展開ー北野圓満寺をめぐって」