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京都・平等寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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平等寺
平等寺(因幡堂)(国土地理院空中写真より)

平等寺(びょうどうじ)は、京都府京都市下京区因幡堂町にある薬師信仰真言宗寺院。本尊は薬師如来。真言宗智山派因幡堂因幡薬師。山号は福聚山。(参考:同名寺院平等寺

歴史

997年(長徳3年)、因幡国の賀露津(鳥取港)の海に霊光があり、国司の橘行平が漁師に調べさせると薬師如来像がみつかった。菖蒲廃寺因幡・座光寺に一時祀られていたとも。1003年(長保5年)4月、平安京の烏丸高辻の橘行平の邸宅に薬師像が飛来した。橘行平が仏堂を作って祀った。子(孫)の橘光朝が1171年(承安1年)高倉天皇から勅額を賜り、平等寺と称した。『一遍上人絵伝』では橘行平が夢想で海中に薬師如来像を発見したのは951年(天暦5年)のこととする。

元は天台宗園城寺末・聖護院末だったが、近世には真言宗智積院末になったらしい。

  • 1097年(承徳1年)1月21日、焼失(中右記)。
  • 1103年(康和5年)11月16日、焼失(本朝世紀)。
  • 1108年(天仁1年)2月8日、焼失(中右記)。
  • 1143年(康治2年)10月13日、焼失(百錬抄)。
  • 1153年(仁平3年)4月15日、焼失(百錬抄)。
  • 1159年(平治1年)11月26日、焼失(百錬抄)。
  • 1161年(応保1年)、後白河上皇が御幸。
  • 1171年(承安1年)4月、高倉天皇が勅命を下して平等寺とした。
  • 1177年(治承1年)4月28日、焼失(「山槐記」1179年(治承3年)2月28日条)。
  • 1246年(寛元4年)6月6日、焼失(百錬抄)。
  • 1249年(建長1年)3月23日、焼失(百錬抄)。
  • 1279年(弘安2年):一遍が参詣。
  • 1391年(元中8年/明徳2年)11月10日、焼失(南方記伝)。
  • 1424年(応永31年)10月9日、将軍足利義量が参籠。
  • 1434年(永享6年)2月11日、焼失(看聞日記)。
  • 1869年(明治2年)、境内上地。
  • 1886年(明治19年)、現在の本堂を再建。

(日本歴史地名大系、国史大辞典)

伽藍


資料

  • 因幡堂縁起絵巻
  • 中野玄三1983「因幡堂縁起と因幡薬師」[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%BB%E5%B9%B3%E7%AD%89%E5%AF%BA」より作成

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