ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
京都御苑・宗像神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年8月30日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
京都御苑宗像神社は、京都府京都市上京区の京都御苑内にある宗像信仰の神社。花山院家の鎮守。祭神は多紀理比売命・多岐津比売命・市岐島比売命(由緒書)。国史見在社とされる。府社。境内には花山稲荷神社や少将井神社などがある。
歴史
795年(延暦14年)、桓武天皇の命で藤原冬嗣が宗像大社より神霊を招いて創建。平安京左京一条にあたり、冬嗣の邸宅の小一条殿(小一条院)の地にあった。『拾芥抄』に小一条殿の「坤角」(南西)に祀っているとある。『三代実録』859年(貞観1年)2月30日条に「田心姫神・湍波姫神・市杵島姫神」とあり、「場所は異なっても(宗像大社と)同神である」(居雖異、実是同神也)とある。864年(貞観6年)10月11日、従一位(三代実録)。865年(貞観7年)3月21日条には三神と共に祀られていた無位天石戸開神に従三位授与されたがこの神は現状不詳。1275年(建治1年)、卜部兼文の勘奏で官幣に預かった。小一条殿はのち廃絶。花山法皇御所となり藤原家忠が拝領して花山院邸になり、宗像神社も引き続き祀られた。中世・近世には境内の花山稲荷神社が信仰を集めた。現在の社殿は安政年間に再建されたものという。1877年(明治10年)3月、府社に列格した。 (由緒書、国史大辞典ほか)
境内
- 本社
- 花山稲荷神社:花山院家の鎮守。社伝によればこの地が藤原忠平邸になった時に忠平が伏見稲荷を勧請。1574年(天正2年)1月、狐を殺めた奈良の少太郎という人物が病気となり、花山稲荷の四句と花山院家の護符に頼ろうとしたという(『多聞院日記』)。1708年(宝永5年)の大火、1788年(天明8年)の大火でも花山院家邸は焼けず、花山稲荷の加護として信仰された。江戸の各大名屋敷や松前藩・佐賀藩など各地に分霊が祀られ、中でも祐徳稲荷神社は著名。花山講、灯明講、松栄講などがあった。
- 京都観光神社:祭神は猿田彦大神。観光関係業者が創建。
- 少将井神社:八坂神社の少将井御旅所に祀られていた。
- 繁栄稲荷神社:
- 琴平神社: