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伊勢・円明寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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応仁の乱で京都を脱出した足利義視(略歴は[[浄土寺#組織]]を参照)が1468年(応仁2年)8月、一時滞在したという(応仁記)。天正年間に兵火で焼失。延宝年間に復興。伊勢参宮街道沿いにあり、参宮者を接待したというが、明治に廃絶した。 | 応仁の乱で京都を脱出した足利義視(略歴は[[浄土寺#組織]]を参照)が1468年(応仁2年)8月、一時滞在したという(応仁記)。天正年間に兵火で焼失。延宝年間に復興。伊勢参宮街道沿いにあり、参宮者を接待したというが、明治に廃絶した。 |
2018年7月15日 (日) 時点における版
円明寺は伊勢国(三重県津市岩田)にあった南都仏教・真言宗の寺院。真言律宗西大寺流。廃絶。本尊は大日如来。通称は岩田寺。山号は岩田山。(参考:同名寺院円明寺)
歴史
叡尊が伊勢神宮近くに弘正寺を創建した際、その寺領として岩田村を寄進されたので、岩田にも寺を建てたという。岩田橋の南側に位置し、他の律宗寺院と同じく岩田橋や安濃津の管理をしていた可能性があるという。円明寺の覚乗(叡尊の弟子)が天照大神から、葬儀を行い死穢をまとう律僧も参宮を許される神託を得たという逸話がある。
応仁の乱で京都を脱出した足利義視(略歴は浄土寺#組織を参照)が1468年(応仁2年)8月、一時滞在したという(応仁記)。天正年間に兵火で焼失。延宝年間に復興。伊勢参宮街道沿いにあり、参宮者を接待したというが、明治に廃絶した。 (『日本歴史地名大系』、松尾剛次「日本中世律宗の展開」)