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伊勢・欣浄寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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[[File:Gonjoji-ise_(4).jpg|500px|thumb|本堂(焼失前)]]
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'''欣浄寺'''(ごんじょうじ)は、三重県伊勢市一之木(伊勢国度会郡)にある[[法然]]ゆかりの[[浄土宗]]寺院。本尊は阿弥陀如来。'''日の丸名号'''がある。[[法然上人二十五霊場]]の一つ。[[伊勢神宮関連旧跡]]。(参考:同名寺院[[欣浄寺]])
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|法然の神宮参詣旧跡にある寺院。
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|style="background-color:#ededed"|奉斎
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|阿弥陀如来
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|style="background-color:#ededed"|所在地
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|三重県伊勢市一之木2-6-7
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|style="background-color:#ededed"|所在地(旧国郡)
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|伊勢国度会郡
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|[[浄土宗]]
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|style="background-color:#ededed"|関連記事
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*[[法然上人二十五霊場]]
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*[[伊勢神宮関連旧跡]]
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[[category:三重県]]
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==概要==
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'''欣浄寺'''(ごんじょうじ)は、三重県伊勢市にある[[法然]]ゆかりの[[浄土宗]]寺院。'''日の丸名号'''がある。[[法然上人二十五霊場]]の一つ。[[伊勢神宮関連旧跡]]。(参考:同名寺院[[欣浄寺]])
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== 歴史 ==
== 歴史 ==
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法然が神宮に百日参籠して道心堅固を祈念したところ、神前に日輪が示現し、その中に「南無阿弥陀仏」の名号が現れたという。名体不離、同体大悲の理を表すという。のち、旧家の宝庫に蔵されていたところ、炎上したとき、名号が空に飛び上がり、大木の枝に引っかかったので、それを供養するための寺院を建てた。1540年(天文9年)創建。寛文の大火で焼失。越坂に移転。1702年(元禄15年)、[[京都]]・[[江戸]]などで出開帳を行った。1869年(明治2年)に廃絶し、本尊什宝は[[知恩院]]に遷されたが、壱誉学翁<ref>河鍋暁斎の門人でもあるという</ref>が霊場の廃絶を嘆いて本山や当局と交渉。1882年(明治15年)、[[常明寺]]境内に仏堂を建立。1889年(明治22年)に大法要を執行。1917年(大正6年)に現在地に移転した。
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法然が神宮に百日参籠して道心堅固を祈念したところ、神前に日輪が示現し、その中に「南無阿弥陀仏」の名号が現れたという。名体不離、同体大悲の理を表すという。のち、旧家の宝庫に蔵されていたところ、炎上したとき、名号が空に飛び上がり、大木の枝に引っかかったので、それを供養するための寺院を建てた。1540年(天文9年)創建。寛文の大火で焼失。越坂に移転。1702年(元禄15年)、[[京都]]・[[江戸]]などで出開帳を行った。1869年(明治2年)に廃絶し、本尊什宝は[[知恩院]]に遷されたが、壱誉学翁(河鍋暁斎の門人でもあるという)が霊場の廃絶を嘆いて本山や当局と交渉。1882年(明治15年)、[[常明寺]]境内に仏堂を建立。1889年(明治22年)に大法要を執行。1917年(大正6年)に現在地に移転した。2021年(令和3年)7月8日焼失。再建はされていない。(『宇治山田市史』ほか)
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==参考文献==
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[[category:三重県]]
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*『宇治山田市史』
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==脚注==
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2022年12月19日 (月) 時点における版

本堂(焼失前)

欣浄寺(ごんじょうじ)は、三重県伊勢市一之木(伊勢国度会郡)にある法然ゆかりの浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来。日の丸名号がある。法然上人二十五霊場の一つ。伊勢神宮関連旧跡。(参考:同名寺院欣浄寺

歴史

法然が神宮に百日参籠して道心堅固を祈念したところ、神前に日輪が示現し、その中に「南無阿弥陀仏」の名号が現れたという。名体不離、同体大悲の理を表すという。のち、旧家の宝庫に蔵されていたところ、炎上したとき、名号が空に飛び上がり、大木の枝に引っかかったので、それを供養するための寺院を建てた。1540年(天文9年)創建。寛文の大火で焼失。越坂に移転。1702年(元禄15年)、京都江戸などで出開帳を行った。1869年(明治2年)に廃絶し、本尊什宝は知恩院に遷されたが、壱誉学翁(河鍋暁斎の門人でもあるという)が霊場の廃絶を嘆いて本山や当局と交渉。1882年(明治15年)、常明寺境内に仏堂を建立。1889年(明治22年)に大法要を執行。1917年(大正6年)に現在地に移転した。2021年(令和3年)7月8日焼失。再建はされていない。(『宇治山田市史』ほか)

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