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伊勢国分尼寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年6月23日 (日)
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1993年、1994年の発掘で現国分寺周辺から国分寺とは異なる奈良時代の瓦が出土し、国分尼寺の所在地である可能性が高いと判断された。 | 1993年、1994年の発掘で現国分寺周辺から国分寺とは異なる奈良時代の瓦が出土し、国分尼寺の所在地である可能性が高いと判断された。 | ||
集落の中心部にあたり、大規模な発掘調査は難しい。 | 集落の中心部にあたり、大規模な発掘調査は難しい。 | ||
- | + | (2007『史跡伊勢国分寺跡整備基本計画』[http://www.city.suzuka.lg.jp/kouhou/gyosei/plan/keikaku/kakusyu/museum.html]) | |
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2019年6月23日 (日) 時点における最新版
伊勢国分尼寺は伊勢国河曲郡(三重県鈴鹿市国分町)にあった古代寺院。伊勢国の国分尼寺。古代国分寺の東方400mにある、現・伊勢国分寺周辺が跡地と推定されている。
歴史
研究史
長年、国分尼寺跡地と推定されていた国分町南浦の大鹿廃寺は1991年の発掘調査でより古い白鳳時代の寺院と判明。 1993年、1994年の発掘で現国分寺周辺から国分寺とは異なる奈良時代の瓦が出土し、国分尼寺の所在地である可能性が高いと判断された。 集落の中心部にあたり、大規模な発掘調査は難しい。 (2007『史跡伊勢国分寺跡整備基本計画』[1])