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光明皇后旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''光明皇后'''(こうみょう・こうごう)(701-760)は、[[聖武天皇]]の皇后。[[藤原氏]]。[[藤原不比等|不比等]]と橘三千代の第三女。仏教を篤く信仰し、国分寺、国分尼寺、東大寺大仏の造営を提唱し、天皇の力で実現した。信仰に基づき福祉事業を手掛けたとされる。729年(天平1年)の[[長屋王]]の変の後、臣下としては異例の皇后となった。一族の[[藤原仲麻呂]]に中枢に据え、政権を掌握。国政への介入は一部混乱を招くとともに藤原氏繁栄の基礎を築いた。[[鑑真]]から受戒して尼僧となる。別名は'''安宿媛'''、'''光明子'''とも。'''光明皇太后'''。'''中台天平応真仁正皇太后'''。
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'''光明皇后'''(こうみょう・こうごう)(701-760)は、[[聖武天皇]]の皇后。奈良時代の人物。[[藤原氏]]。[[藤原不比等|不比等]]と橘三千代の第三女。仏教を篤く信仰し、[[国分寺]]、[[国分尼寺]]、東大寺大仏の造営を提唱し、夫の天皇の力で実現した。信仰に基づき福祉事業を手掛けたとされる。729年(天平1年)の[[長屋王]]の変の後、当時、臣下としては異例の皇后となった。一族の[[藤原仲麻呂]]に中枢に据え、政権を掌握。国政への介入は一部混乱を招くとともに、現代にいたる藤原氏繁栄の基礎となった。[[鑑真]]から受戒して尼僧となる。別名は'''安宿媛'''、'''光明子'''とも。'''光明皇太后'''。'''中台天平応真仁正皇太后'''。
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2016年6月19日 (日) 時点における版

光明皇后(こうみょう・こうごう)(701-760)は、聖武天皇の皇后。奈良時代の人物。藤原氏不比等と橘三千代の第三女。仏教を篤く信仰し、国分寺国分尼寺、東大寺大仏の造営を提唱し、夫の天皇の力で実現した。信仰に基づき福祉事業を手掛けたとされる。729年(天平1年)の長屋王の変の後、当時、臣下としては異例の皇后となった。一族の藤原仲麻呂に中枢に据え、政権を掌握。国政への介入は一部混乱を招くとともに、現代にいたる藤原氏繁栄の基礎となった。鑑真から受戒して尼僧となる。別名は安宿媛光明子とも。光明皇太后中台天平応真仁正皇太后

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