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南泉院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | 島津光久(1616-1694)が鹿児島東照宮を創建した時、天台宗の巨刹の鶴田[[薩摩・大願寺|大願寺]]を移転させて別当寺とした。1710年(宝永7年) | + | 島津光久(1616-1694)が鹿児島東照宮を創建した時、天台宗の巨刹の鶴田[[薩摩・大願寺|大願寺]]を移転させて別当寺とした。1710年(宝永7年)、藩主島津吉貴が東照宮および大願寺を再建。中興開山は[[寛永寺明王院]]住職の智周。[[寛永寺]]末。寺領505石。 |
幕末に[[千眼寺]]近くに移転。1869年(明治2年)に廃絶。 | 幕末に[[千眼寺]]近くに移転。1869年(明治2年)に廃絶。 | ||
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2020年4月20日 (月) 時点における版
南泉院(なんせんいん)は鹿児島県鹿児島市照国町(薩摩国鹿児島郡)にあった天台宗寺院。本尊は薬師如来。鹿児島東照宮別当。徳川歴代将軍の位牌も祀った。薩摩・大隅・日向の天台宗触頭。跡地に照国神社がある。仏日寺。山号は大雄山。
歴史
島津光久(1616-1694)が鹿児島東照宮を創建した時、天台宗の巨刹の鶴田大願寺を移転させて別当寺とした。1710年(宝永7年)、藩主島津吉貴が東照宮および大願寺を再建。中興開山は寛永寺明王院住職の智周。寛永寺末。寺領505石。 幕末に千眼寺近くに移転。1869年(明治2年)に廃絶。 (日本歴史地名大系)
境内
- 本堂:
- 開山堂:
- 護摩堂:
- 千手観音堂:
- 鹿児島東照宮:
- 御位牌殿:
- 実相院:
- 観樹院:
- 吉祥院:
- 住職墓地:鹿児島市小野町。開山智周から最後の11世智融までの墓が現存。