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南遣迎院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | 分裂以前の歴史は[[遣迎院]]の項目を参照。当初は発遣の[[釈迦]]と来迎の[[弥陀]]を本尊としていた。1583年(天正11年)、二分されて南遣迎院と[[鷹峰・遣迎院|京極遣迎院]]となった。1705年(宝永2年)の『山城名勝志』に遣迎院「旧跡」に「猶有小堂」とあるのが南遣迎院のことと考えられ、1787年(天明7年)の『拾遺都名所図会』は「京極遣迎院の兼帯所也」と記すので、京極遣迎院が本寺だったのだろう。1868年(明治1年)2月に廃絶したが(京都府地誌)、のち有志が復興し、1914年(大正3年) | + | 分裂以前の歴史は[[遣迎院]]の項目を参照。当初は発遣の[[釈迦]]と来迎の[[弥陀]]を本尊としていた。1583年(天正11年)、二分されて南遣迎院と[[鷹峰・遣迎院|京極遣迎院]]となった。1705年(宝永2年)の『山城名勝志』に遣迎院「旧跡」に「猶有小堂」とあるのが南遣迎院のことと考えられ、1787年(天明7年)の『拾遺都名所図会』は「京極遣迎院の兼帯所也」と記すので、京極遣迎院が本寺だったのだろう。1868年(明治1年)2月に廃絶したが(京都府地誌)、のち有志が復興し、1914年(大正3年)に遣迎院の名を継いだという(坊目誌)。「西山国師御終焉之地」碑がある。 |
- | + | [[安倍晴明]]の塚があった。証空の墓があるらしいが不詳。(『証空事典』、『日本歴史地名大系』) | |
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2022年3月12日 (土) 時点における版
遣迎院(けんこういん)は京都府京都市東山区本町にある天台宗系・浄土宗系の寺院。本尊は十一面観音。浄土宗西山派開祖の証空の没地で墓所。江戸時代は天台宗の所属だったが現在は浄土宗西山禅林寺派。遣迎院が分裂。南遣迎院。山号は慈眼山。
歴史
分裂以前の歴史は遣迎院の項目を参照。当初は発遣の釈迦と来迎の弥陀を本尊としていた。1583年(天正11年)、二分されて南遣迎院と京極遣迎院となった。1705年(宝永2年)の『山城名勝志』に遣迎院「旧跡」に「猶有小堂」とあるのが南遣迎院のことと考えられ、1787年(天明7年)の『拾遺都名所図会』は「京極遣迎院の兼帯所也」と記すので、京極遣迎院が本寺だったのだろう。1868年(明治1年)2月に廃絶したが(京都府地誌)、のち有志が復興し、1914年(大正3年)に遣迎院の名を継いだという(坊目誌)。「西山国師御終焉之地」碑がある。 安倍晴明の塚があった。証空の墓があるらしいが不詳。(『証空事典』、『日本歴史地名大系』)