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土佐・青龍寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年10月3日 (土)
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- | '''青龍寺'''(しょうりゅうじ)は、高知県土佐市にある[[不動信仰]]の[[真言宗]]寺院。[[四国八十八所霊場]]第36番札所。本尊は[[波切不動明王]]。[[真言宗豊山派]] | + | '''青龍寺'''(しょうりゅうじ)は、高知県土佐市にある[[不動信仰]]の[[真言宗]]寺院。[[四国八十八所霊場]]第36番札所。本尊は[[波切不動明王]]。[[真言宗豊山派]]。伊舎那院。山号は独鈷山。 |
+ | (参考:同名寺院[[青龍寺 (同名)]]) | ||
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+ | 如意山道場院光明法寺とも、摩尼山龍宝院赤木寺ともいう。 | ||
+ | [[空海]]が師の[[恵果]]への報恩のため唐の[[長安]]の[[青龍寺]]を移すことを願って、唐の地から独鈷杵を投げてこの地を得たという。 | ||
+ | あるいは明州の港から赤栴檀を投げて近くの「龍の浜」(赤浜)に流れ着いたともいう。 | ||
+ | 1568年とみられる一条康政の書状に「青龍寺之塔及大破之時節、歎思食之処、為本願致勧進可企修造之由尤神妙、定而可預霊験者歟」とあるのが初見か。 | ||
+ | 子院として妙法坊・西之坊・龍善坊・宝性坊・大本坊・東林坊があった。 | ||
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+ | 山内忠義が正保年間に再興。 | ||
+ | 1707年の地震と津波で被災。 | ||
+ | この時、赤浜の岩に彫り込まれていた波切不動尊が沈んだ。 | ||
+ | 板彫に写されたものが現存するという。 | ||
+ | 青龍寺要録という寺史がある。 | ||
+ | (『日本歴史地名大系』) | ||
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2020年10月3日 (土) 時点における最新版
青龍寺(しょうりゅうじ)は、高知県土佐市にある不動信仰の真言宗寺院。四国八十八所霊場第36番札所。本尊は波切不動明王。真言宗豊山派。伊舎那院。山号は独鈷山。 (参考:同名寺院青龍寺 (同名))
如意山道場院光明法寺とも、摩尼山龍宝院赤木寺ともいう。
空海が師の恵果への報恩のため唐の長安の青龍寺を移すことを願って、唐の地から独鈷杵を投げてこの地を得たという。
あるいは明州の港から赤栴檀を投げて近くの「龍の浜」(赤浜)に流れ着いたともいう。
1568年とみられる一条康政の書状に「青龍寺之塔及大破之時節、歎思食之処、為本願致勧進可企修造之由尤神妙、定而可預霊験者歟」とあるのが初見か。
子院として妙法坊・西之坊・龍善坊・宝性坊・大本坊・東林坊があった。
山内忠義が正保年間に再興。 1707年の地震と津波で被災。 この時、赤浜の岩に彫り込まれていた波切不動尊が沈んだ。 板彫に写されたものが現存するという。 青龍寺要録という寺史がある。 (『日本歴史地名大系』)