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真言宗豊山派
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年4月14日 (日)
真言宗豊山派(しんごんしゅう・ぶざんは)は、奈良県桜井市初瀬の長谷寺を本山とする教団。教団の本部事務所を宗務所と呼称し、東京都文京区大塚の護国寺内に置く。新義真言宗、真言宗智山派と同じく真言宗新義派の系統に属し、空海を宗祖、覚鑁を中興祖、専誉を派祖と位置付ける。宗本分離の運営体制を採用しているが、本山より宗派が主導権を握っている。宗派のトップを管長と呼称し、長谷寺の化主(住職)が兼務する。教団運営のトップは宗務総長で、宗教法人の代表役員も兼ねる。 豊山派から分かれた宗派としては真言宗室生寺派、真言宗大日派がある(現在の新義真言宗も豊山派からの分派という見方もできなくはない)。戦前の名称は新義真言宗豊山派。関連する大学としては大正大学がある。
目次 |
歴史
- 1900年(明治33年)8月10日:単称真言宗から御室派、高野派、大覚寺派、醍醐派、智山、豊山派、律宗が独立(内務省告示第74号[1])。正式名称は「新義真言宗豊山派」。初代管長に長谷寺化主の慶雲海量の就任を内務省が認可[2]。
- 1900年(明治33年)8月11日:豊山派宗務所を護国寺内に設置[3]。
- 1900年(明治33年)9月15日:初代宗務長に護国寺住職の高城義海が就任[4]。
- 1941年(昭和16年)3月31日:真言律宗を除いて真言宗各派、合同真言宗に合併(文部省告示第503号)
- 1945年(昭和20年):敗戦。合同真言宗解体。
- 1947年(昭和22年):栃木県足利市の鶏足寺、豊山派から独立して真言宗鶏足寺派として法人設立。1953年(昭和28年)真言教団として認証、翌年登記(『仏教宗派辞典』)。
- 1949年(昭和24年):根来寺など新義真言宗、法人設立(『仏教宗派辞典』)。智積院末、長谷寺末の寺院が離脱して参加したが特に長谷寺末だった寺院が多い(『仏教宗派辞典』)。
- 1951年(昭和26年):栃木県足利市の鑁阿寺、豊山派を離脱して真言宗大日派を設立(『日本歴史地名大系』)。
- 1952年(昭和27年):真言宗豊山派、法人登記
- 1962年(昭和37年)12月17日:室生寺、豊山派より離脱してこの日、認証される(のち真言宗室生寺派を設立)。
- 1988年(昭和63年):鶏足寺、真言教団を解散して真言宗豊山派に復帰(『日本歴史地名大系』)
組織
管長
宗務総長
- 小野塚潤澄()<-1966->:
- 築山定誉()<-1972->:
- 浅井堅教()<-1974->:
- 久保埜太清()<-1981->:
- 鈴木常俊()<-1990->:
- 川田聖定()<-1993->:
- 鳥居慎誉()<-1999->:
- 大塚惠章()<-2003->:
- 浅井侃雄()<-2006->:
- 川田聖戍()<-2009->:
- 坂井智宏()<2012->:
- 星野英紀(1943-)<2016->:宗教学者。大正大学学長。日本宗教学会会長。
- 鈴木常英()<2020->:2020/7/5就任。
集議・菩提院結衆
集議(しゅぎ)は長谷寺化主(豊山派管長)の候補者となる。集議は定員20人、菩提院結衆は定員30人[5]。集議は欠員が生じたら70歳以上の菩提院結衆の中から選ばれる。 興正系と一新系がある。菩提院結衆は選考委員会によって選ばれる。
- 『集議制雑記』[6]