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大分県護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年6月27日 (日)

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大分県護国神社(おおいたけん・ごこくじんじゃ)は、大分県大分市にある、県内の戦没者などを祀る招魂社内務大臣指定護国神社神社本庁別表神社官軍墓地警察官墓地がある。旧称は大分県招魂社。占領期の名称は豊霊宮

目次

祭神

  • 22柱(創建時1875年(明治8年)10月18日ウェブサイト)

歴史

  • 1874年(明治7年)2月:大分県権令森下景端、維新前後の戦死者および佐賀の乱の戦死者のための招魂社創立をはかる(『靖国神社百年史』)
  • 1875年(明治8年)10月18日:社殿竣工。招魂祭。「明治七年佐賀の乱で戦死した杵築の大山昌など十四柱、同年台湾蕃地討伐で戦病死した竹田の井上某など三柱、過ぎし明治維新の動乱のさい蛤御門の戦いで戦死した南大分荏隈の若杉直綱など五柱」の22柱を祀る。(神社ウェブサイト)
  • 1885年(明治18年):拝殿等増改築(神社ウェブサイト)
  • 1933年(昭和8年)6月:社殿の改築、参道の改修、神苑の拡張整備(神社ウェブサイト)
  • 1935年(昭和10年):「大分県招魂社」と称す(『神道史大辞典』)
  • 1939年(昭和14年)4月1日:内務大臣指定の「大分県護国神社」となる(『靖国神社百年史』)
  • 1943年(昭和18年)10月28日:新社殿竣工。遷座祭。(神社ウェブサイト)
  • 1945年(昭和20年)9月22日:戦争終了奉告祭(供進使祭務官野村正巳)(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1946年(昭和21年)4月10日:宗教法人令による法人(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1947年(昭和22年)5月9日:豊霊宮(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1949年(昭和24年)12月1日:豊霊宮奉賛会(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1951年(昭和26年)5月31日:殉職警察官相殿に合祀(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1952年(昭和27年)9月20日:大分県護国神社に復称(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1953年(昭和28年)8月1日:宗教法人(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1955年(昭和30年)12月26日:参集所(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1956年(昭和31年)10月4日:神楽殿(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1958年(昭和33年)4月7日:幣帛。九州行幸(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1959年(昭和34年)4月8日:記念館(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1959年(昭和34年)7月1日:別表神社(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1960年(昭和35年)10月9日:合祀概了奉告臨時大祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1963年(昭和38年)4月7日:池田勇人首相参拝(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1965年(昭和40年)10月10日:終戦20周年臨時大祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1966年(昭和41年)10月22日:昭和天皇・皇后、参拝(神社ウェブサイト)
  • 1968年(昭和43年)10月21日:殉職警察官相殿合祀(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1970年(昭和45年)2月22日:屋根銅板葺替のため仮殿遷座祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1970年(昭和45年)6月10日:本殿遷座祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1984年(昭和59年):神門竣工(『神道史大辞典』)

境内

組織

社司・宮司

  • 小野日隆()<>:2015年(平成27年)12月退任。
  • 八坂秀史()<>:2015年(平成27年)12月就任。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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