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如信旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*[[常瑞寺]]:福島県白河市大工町。大網堂の後身。寛永4年(1627)に現在地に移転。(地名大系) | *[[常瑞寺]]:福島県白河市大工町。大網堂の後身。寛永4年(1627)に現在地に移転。(地名大系) | ||
*[[法龍寺]]:茨城県久慈郡大子町上金沢。「如信上人終焉之地」碑がある。真宗大谷派。如信が建てた太子堂があった。のち如信はここで死去。延宝2年(1674)徳川光圀が墓に参詣した際に寺院を建てた。願入寺の縁起では上金沢を大網草庵の旧地とみなすが、法龍寺ではその伝えはない。(地名大系) | *[[法龍寺]]:茨城県久慈郡大子町上金沢。「如信上人終焉之地」碑がある。真宗大谷派。如信が建てた太子堂があった。のち如信はここで死去。延宝2年(1674)徳川光圀が墓に参詣した際に寺院を建てた。願入寺の縁起では上金沢を大網草庵の旧地とみなすが、法龍寺ではその伝えはない。(地名大系) | ||
- | * | + | *願入寺:茨城県常陸太田市久米。願入寺の別院。文安年間、大網から那珂郡大根田に移り、那珂郡菅谷を経て明応2年(1493)、久慈郡久米村に移転。延宝3年(1675)に大洗移転後は支坊となった。 |
*[[願入寺]]:茨城県東茨城郡大洗町。大網の草庵の後身とされる。延宝3年(1675)、[[徳川光圀]]が久米から現在地に再興。真宗大谷派の連枝格だった(和漢三才図会)。 | *[[願入寺]]:茨城県東茨城郡大洗町。大網の草庵の後身とされる。延宝3年(1675)、[[徳川光圀]]が久米から現在地に再興。真宗大谷派の連枝格だった(和漢三才図会)。 | ||
*余綾山 | *余綾山 |
2017年10月27日 (金) 時点における版
如信(にょしん)(1235-1300)は、浄土真宗の僧侶。本願寺2世・錦織寺2世とみなされている(いずれも実際には住していない)。善鸞の子で親鸞の孫。常陸願入寺を創建。正安2年(1300)1月4日死去。66歳。大網本廟(白河常瑞寺旧地)、大子町法龍寺に墓。
一覧
- 大網の草庵:
- 竹貫伝承地:福島県石川郡古殿町竹貫。「如信上人大網遺跡」碑が立つ。(地名大系)
- 大網本廟:福島県西白河郡泉崎村北平山。西念寺があり、如信に帰依。大網堂と呼ばれた。上金沢で亡くなった如信の遺骸を葬った。正和4年(1315)、大網本廟が建立された。寛永4年(1627)、寺院は白河城下町に移転。その後、藩主本多忠義が旧跡を再建。(地名大系)
- 常瑞寺:福島県白河市大工町。大網堂の後身。寛永4年(1627)に現在地に移転。(地名大系)
- 法龍寺:茨城県久慈郡大子町上金沢。「如信上人終焉之地」碑がある。真宗大谷派。如信が建てた太子堂があった。のち如信はここで死去。延宝2年(1674)徳川光圀が墓に参詣した際に寺院を建てた。願入寺の縁起では上金沢を大網草庵の旧地とみなすが、法龍寺ではその伝えはない。(地名大系)
- 願入寺:茨城県常陸太田市久米。願入寺の別院。文安年間、大網から那珂郡大根田に移り、那珂郡菅谷を経て明応2年(1493)、久慈郡久米村に移転。延宝3年(1675)に大洗移転後は支坊となった。
- 願入寺:茨城県東茨城郡大洗町。大網の草庵の後身とされる。延宝3年(1675)、徳川光圀が久米から現在地に再興。真宗大谷派の連枝格だった(和漢三才図会)。
- 余綾山
- 西善寺:秋田県秋田市。奥州巡回の途中に滞在。真宗大谷派。(地名大系)