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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

如信旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年12月23日 (日)

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如信(にょしん)(1235-1300)は、浄土真宗の僧侶。親鸞の孫で善鸞の子。長年、父と共に関東・東北地方で布教し京都には短期間しかいなかったが、教えを学んだ覚如本願寺3世を継いだため、如信は本願寺2世とされている(いわゆる加歴住職)。覚如の法脈を継ぐ錦織寺でも2世とみなされる。その教えは覚如が『口伝鈔』にまとめたとされる。生涯や思想は不明確だが初期真宗教団の重鎮だったことは間違いなく、陸奥国で大網門徒を組織した。大網の草庵と呼ばれた布教拠点の伝承地・後身寺院はいくつかあるが願入寺が代表的。1300年(正安2年)1月4日、常陸国久慈郡の上金沢(法龍寺)で死去。66歳。墓所は法龍寺伝承地大網本廟。また後世、「隠し念仏」の歴代としても信仰される。

目次

墓廟

  • 如信墓_陸奥伝承地:福島県西白河郡泉崎村北平山。陸奥西念寺跡にある。大網本廟。
  • 如信墓_常陸伝承地:茨城県久慈郡大子町上金沢。法龍寺にある。
  • 願入寺開基堂:茨城県東茨城郡大洗町。願入寺にある。如信像を祀る。

一覧

  • 大網の草庵
    • 竹貫伝承地:福島県石川郡古殿町竹貫。昭和初期に近角常観が発見したという。堂宇と「如信上人大網遺跡」碑が立つ。大網遺跡と呼ばれている。(地名大系)
    • 陸奥・西念寺:福島県西白河郡泉崎村北平山。西念寺があり、如信に帰依。大網堂と呼ばれた。上金沢で亡くなった如信の遺骸を葬った。正和4年(1315)、大網本廟が建立された。寛永4年(1627)、寺院は白河城下町に移転。その後、藩主本多忠義が旧跡を再建。(地名大系)
    • 常瑞寺:福島県白河市大工町。大網堂の後身。寛永4年(1627)に現在地に移転。(地名大系)
    • 大根田願入寺:常陸国那珂東郡小瀬郷大根田(茨城県常陸大宮市下小瀬)。文安年間、大根田に移転。大根田御坊。跡地に記念碑。
    • 菅谷願入寺:常陸国那珂郡菅谷(茨城県那珂市菅谷)。
    • 石神願入寺:常陸国那珂郡石神(茨城県那珂郡東海村石神)。
    • 久米願入寺:茨城県常陸太田市久米。明応2年(1493)、久慈郡久米村に移転。延宝3年(1675)に大洗移転後は支院となった。明治時代に願入寺から正念寺と改称。浄土真宗本願寺派
    • 磯浜願入寺:茨城県東茨城郡大洗町。大網の草庵の後身とされる。延宝3年(1675)、徳川光圀が久米から現在地に再興。真宗大谷派連枝格だった(和漢三才図会)。
  • 法龍寺:茨城県久慈郡大子町上金沢。「如信上人終焉之地」碑がある。真宗大谷派。如信が建てた太子堂があった。のち如信はここで死去。ここにも墓。延宝2年(1674)徳川光圀が墓に参詣した際に寺院を建てた。(地名大系)
  • 余綾山:神奈川県。不詳。1290年(正応3年)覚恵・覚如父子とここで面会したという。
  • 西善寺:秋田県秋田市。奥州巡回の途中に滞在。真宗大谷派。(地名大系)
  • 光照寺:茨城県那珂市額田北郷。真宗大谷派。群生山。

年表

略年譜

  • 1235年(嘉禎1年):誕生。
  • 1262年(弘長2年)11月28日:祖父親鸞、死去。
  • 1277年(建治3年):善鸞死去か(諸説ある)。
  • 1287年(弘安10年)11月9日:覚如に教えを伝える。(『慕帰絵詞』)
  • 1290年(正応3年):覚恵・覚如父子と相模余綾山で面会したという。
  • 1300年(正安2年)1月4日:常陸国久慈郡の上金沢(のちの法龍寺)で死去。66歳。

死後の年表

  • 1300年(正安2年):絵像「如信上人像」成立。西本願寺蔵。
  • 1315年(正和4年):大網の草庵に分骨され、大網本廟を築いたと伝える。
  • 1331年(元弘1年/元徳3年):覚如が如信の教えをまとめたという『口伝鈔』を執筆。
  • 1332年(元弘2年/正慶1年)1月4日:覚如が東国に下り、大網の草庵で如信三十三回忌を勤めた。この時、『二十四輩牒』を作成させた。これに先立ち12月には上金沢で法要したという。
  • 1337年(延元2年/建武4年)9月:覚如が『改邪鈔』を著し、正しい教えは法然親鸞・如信、そして覚如に伝わっているとする「三代伝持」を主張する。
  • 1351年(正平6年/観応2年)10月:覚如の伝記絵巻『慕帰絵』成立。如信から面授口決を説く。
  • 1674年(延宝2年):徳川光圀が法龍寺創建と共に如信塑像を造立。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A6%82%E4%BF%A1%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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