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妙泉寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年12月29日 (金)
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+ | '''妙泉寺'''は京都にあった[[日蓮宗]]寺院。[[洛中法華二十一寺]]の一つ。[[日什門流]]。天文法難後は[[京都・寂光寺|寂光寺]]内にあった。戦後廃絶。山号は本湧山。(参考:同名寺院[[妙泉寺_(同名)]]) | ||
[[松ケ崎・妙泉寺]]と混同されることがあるが別寺。 | [[松ケ崎・妙泉寺]]と混同されることがあるが別寺。 | ||
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
- | 1431年(永享3年) | + | 1431年(永享3年)4月28日、[[妙満寺]]5世の日舜が綾小路に創建。 |
1460年(寛正1年)に畠山義就が京都を追放された際に加勢要請に応じなかったため、のちに復権した時、冷遇された。 | 1460年(寛正1年)に畠山義就が京都を追放された際に加勢要請に応じなかったため、のちに復権した時、冷遇された。 | ||
1495年(明応4年)、再建。 | 1495年(明応4年)、再建。 | ||
1536年(天文5年)の天文法難で焼失。1541年(天文10年)、三条坊門室町に再建。あるいは三条油小路にあった時期もあるらしい。 | 1536年(天文5年)の天文法難で焼失。1541年(天文10年)、三条坊門室町に再建。あるいは三条油小路にあった時期もあるらしい。 | ||
- | + | [[豊臣秀吉]]の都市改造で、1590年(天正18年)8月、現在の[[行願寺]]のあたりにあった寂光寺内に移転。寂光寺もその直前の同年2月に室町近衛から移ってきたばかりだった(「京都の近世都市化」[https://doi.org/10.20624/sehs.10.7_643])。 | |
- | 1708年(宝永5年)の宝永の大火で、1710年(宝永7年) | + | 1708年(宝永5年)の宝永の大火で、1710年(宝永7年)、現在地の寂光寺の地に移転。戦後、寂光寺に併合された(日蓮宗事典)。 |
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*「妙泉寺建物図」:同上。 | *「妙泉寺建物図」:同上。 | ||
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2023年12月29日 (金) 時点における最新版
妙泉寺は京都にあった日蓮宗寺院。洛中法華二十一寺の一つ。日什門流。天文法難後は寂光寺内にあった。戦後廃絶。山号は本湧山。(参考:同名寺院妙泉寺_(同名)) 松ケ崎・妙泉寺と混同されることがあるが別寺。
目次 |
歴史
1431年(永享3年)4月28日、妙満寺5世の日舜が綾小路に創建。 1460年(寛正1年)に畠山義就が京都を追放された際に加勢要請に応じなかったため、のちに復権した時、冷遇された。 1495年(明応4年)、再建。 1536年(天文5年)の天文法難で焼失。1541年(天文10年)、三条坊門室町に再建。あるいは三条油小路にあった時期もあるらしい。 豊臣秀吉の都市改造で、1590年(天正18年)8月、現在の行願寺のあたりにあった寂光寺内に移転。寂光寺もその直前の同年2月に室町近衛から移ってきたばかりだった(「京都の近世都市化」[1])。 1708年(宝永5年)の宝永の大火で、1710年(宝永7年)、現在地の寂光寺の地に移転。戦後、寂光寺に併合された(日蓮宗事典)。
(『日本歴史地名大系』、古事類苑ほか)
組織
歴代
- 日舜(1379-1454)<>:霊鷲院。妙満寺5世。
資料
- 「妙泉寺古絵図写」:『社寺境内図資料集成』2に収録。
- 「妙泉寺建物図」:同上。
- 「妙泉寺伽藍古図」:1788年に奉行所に提出したもの。