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妙見信仰
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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またこれらとは別に、唐服をまとい、日輪を背負い、腰をかけている三尊の像があるが、これは鎮宅霊符神の図像とされる。 | またこれらとは別に、唐服をまとい、日輪を背負い、腰をかけている三尊の像があるが、これは鎮宅霊符神の図像とされる。 | ||
+ | 現存最古の妙見像は法輪寺の妙見像で、聖徳太子作と伝え、平安時代のものとされる。また伊勢妙見に祀られていたものが妙見像で唯一、国重要文化財となっている<ref>よみうりランド聖地公園 妙見堂に現存。</ref>。鎌倉時代のものという。 | ||
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+ | 八代妙見では本地仏であった亀蛇框座阿弥陀如来像が市内に伝存している<ref>熊本県文化財。八代市ウェブサイトに写真が掲載されている[http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/ar/article_view.phtml?id=16333]。</ref>。 | ||
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+ | 奈良の地獄谷聖人窟には石窟のなかに線刻で描いた平安時代後期の妙見像がある。 | ||
===星曼荼羅=== | ===星曼荼羅=== |
2011年11月23日 (水) 時点における版
妙見信仰 |
目次 |
概要
歴史
妙見信仰の起源
古代
- 日本霊異記
- 空海と妙見信仰
- 琳聖太子と妙見信仰
- 源満仲
中世
坂東八平氏の妙見信仰
- 平将門と平良文
- 大宮妙見の成立
- 千葉氏の崇敬
- 相馬氏の崇敬
日蓮宗の妙見信仰
- 日蓮と妙見信仰
- 日蓮宗寺院の鎮守
大内氏の妙見信仰
近世
- 能勢妙見の改宗
近代
- 神仏分離の影響を被る。
信仰
妙見菩薩
妙見菩薩は北極星と北斗七星を神格化した尊格である。菩薩という名であるが、菩薩部ではなく天部の仏尊とされる[1]。尊星王、北辰菩薩、北辰尊星妙見菩薩などともいう。一説にはサンスクリット名をスダルシュチ(蘇浬哩悉〓)という。妙見の名は「その眼睛最も清澄なるが故に、随って能く物を視ることが出来、善悪を記録したまふ」ことから来ているという。
虚空蔵菩薩、吉祥天などと同一視されることもある。特に虚空蔵菩薩は、妙見菩薩と同様に星の信仰に由来する明星天子と習合したことから、妙見信仰と密接な関係にある。
妙見菩薩の性格はいくつかあるが、本質は星神としての性格であるといえる。そもそもが北辰の神格化したものである。一般的に仏教の尊格の一つとされるが、仏教的背景よりも道教的伝統に根付くものであると考えられる。
星の配置と星の動きは社会の仕組みや運命と相関関係にあるとする中国の思想に端を発し、なかでも、天空の中心にあってその位置が動かない北極星は宇宙の中心として、中国の最高神の天帝と同一視された。あるいは北の方角を司る玄武神と同一視された。あるいは妙見菩薩そのものの起源が玄武神という説もある。
妙見菩薩の眷属を亀とするのは、妙見菩薩が玄武神と同一視されたためと思われる。玄武神は亀の周りを蛇が取り付いている神獣である。妙見菩薩像が亀や龍に乗っているのはこれによる。また妙見宮には亀の石造物が奉納されていることがある。八代妙見の八代妙見祭では亀蛇(きだ)と呼ばれる亀の形をした出し物が出されることで有名である。
一部では鷲を眷属とするところや馬を眷属するところもある。馬を眷属とするのは相馬妙見であるが、野馬追神事などによる歴史的つながりに由来するものだろう。
妙見菩薩の影向においては、星の降臨として語られることが多い。星田妙見や下松妙見が代表である。その星の遺跡として岩や石が祀られることもある。妙見菩薩は剣を持っている図像が多いが、八代妙見には四寅剣という剣が神宝として伝わっている。七星剣と呼ばれるように、北斗七星に縁のある剣が各地に伝えられるが、星の信仰と剣は関わるものなのかもしれない。
武神としての性格は歴史的に登場し、称揚されてきたものだと思われる。すなわち、平将門が信仰したという伝説の普及や坂東八平氏が妙見菩薩を守護神とし、武運長久を願って勢力を拡大してきたことに由来すると思われる。従来、観音菩薩のような装束を着ていた妙見菩薩が甲冑を着た武将姿への変化したこととも関連があるだろう。
神木としては松が目立つ。下松妙見の「鼎の松」はその代表である。ほかにも柳島妙見にも見られる。いずれも妙見菩薩が影向した神木とされる。
儀礼としては密教儀礼の尊星王法が知られている。これは天台宗寺門派の四大修法の一つとされる。北斗法というのもある。
能勢妙見や法輪寺など、いくつかの妙見宮では4月15日を妙見の縁日とし、祭事を行なっている。
図像
いくつかのモチーフがあるが、おおまかに言って、観音菩薩のような荘厳な装束を着用し、柔和な表情を見せるもの、天部のような甲冑を着用する武将形のものとに分類されるだろう。騎獣は亀や龍が普通であるが長国寺では鷲としているという。
前者においては、二臂、四臂の二種類がある。二臂のものは『覚禅抄』に引く『尊星王軌』によるもので、天衣瓔珞をもってその身を荘厳し、五色の雲の中に結跏趺坐をして、右手は説法印、左手は蓮華を持つものである。『阿婆縛抄』では金色となし、右手に宝杖を持ち、左手は跏趺の上に置き、杖の末端を受けて、蓮華座に座している。『十巻抄』では左手に如意宝珠、右手は与願印とする像が京都霊巌寺にあるとしている。 四臂のものは、『覚禅抄』に引く「北辰別行法」に基づくものである。『阿婆縛抄』『十巻抄』によると、第一右手には筆、第二右手には月輪、第一左手には紀籍、第二左手には日輪を持ち、青龍の上に立つという。三井寺法明院に伝わる尊星王像はこの図様に近い。
武将形のものでは、本門寺型と呼ばれるものと、能勢妙見型と呼ばれるものに別れる。
本門寺型では後輪を背負い、直立で亀の上に立ち、両手で剣を下に突き立てている。池上本門寺の妙見菩薩がこの形という。能勢妙見型は、右手に剣を持って、頭上に掲げ、左手は宝珠を持つかあるいは剣印を結ぶ。背中には後輪がある。岩の上に座している。
そのほか、俗形束帯のもの[2]や童子[3]、童女のものがあるという。武将型のものでも童子のような顔をしているものもある。
またこれらとは別に、唐服をまとい、日輪を背負い、腰をかけている三尊の像があるが、これは鎮宅霊符神の図像とされる。
現存最古の妙見像は法輪寺の妙見像で、聖徳太子作と伝え、平安時代のものとされる。また伊勢妙見に祀られていたものが妙見像で唯一、国重要文化財となっている[4]。鎌倉時代のものという。
八代妙見では本地仏であった亀蛇框座阿弥陀如来像が市内に伝存している[5]。
奈良の地獄谷聖人窟には石窟のなかに線刻で描いた平安時代後期の妙見像がある。
星曼荼羅
妙見信仰に関わる曼荼羅は二種類あり、ひとつは星曼荼羅といい、もうひとつは妙見曼荼羅という。星曼荼羅は北斗曼荼羅ともいう。北斗法などの本尊に用いる。
星曼荼羅は北斗法、本命星供、当年星供などの本尊に用いる。依拠する経典はなく、日本で考案されたものという。一字金輪仏頂(釈迦金輪)を中尊とし、その周囲に北斗七星、九曜、十二宮、二十八宿を並べるものである。その図様から円形と方形の二種類がある。直接には妙見菩薩は登場しない。 円形のものは天台系であり、天台座主慶円に由来し、第一院に中尊、第二院の上部に北斗七星、下部に九曜を円形に配し、第三院には十二宮、外院には二十八宿が配す。法隆寺本が代表的である。 方形のものは真言系であり、香隆寺寛空に由来するという。第一院の中心に中尊、その下に北斗七星、第一院の外周に九曜を配し、第二院に十二宮、外院に二十八宿を方形に配する。久米田寺本が代表的である。
鎮宅霊符信仰
鎮宅霊符とは、護符の一種である。家宅の諸所に張り付けて祀り、魔除けとした。 72種の霊符がある。目的に応じて使い分けるらしい。道教由来のもので、道教経典の『太上秘法鎮宅霊符』(『正統道蔵』洞真部・神符類所収)が原典とされる。
起源は不明だが、日本では密教、宿曜道、陰陽道などで信仰されて、中世には陰陽師などがこの霊符を配札し、信仰を得ていたという。伝承を尋ねれば、鎮宅霊符信仰の古典である『鎮宅霊符縁起集説』によると、鎮宅霊符は琳聖太子が推古天皇の時代に渡来したときに伝来したといい、琳聖太子が渡来したのが八代妙見であるという。同書によると、740年(天平12年)に最初の版木が製作され、1351年(正平6年/観応2年)、南朝の懐良親王によって版木が奉納されたという。
諸所に貼って祀られることから、いつしか霊符は神格化されて、鎮宅霊符神と呼ばれるようになった。鎮宅霊符神は妙見菩薩や真武神と習合し、同一視された。鎮宅霊符の72霊符は武当山の72峰と通じ、霊符神の聖降日は真武神の聖降日と同一であるという。いま述べた鎮宅霊符信仰の発祥地とされる八代妙見には、現在も八代神社の末社として霊符神社があり、これが鎮宅霊符神社の総本社とされる。
陰陽師が祀った霊符神社としては、奈良町の鎮宅霊符神社や、額田の鎮宅霊符神社が知られる。このほか曹洞宗霊符山大陽寺、黄檗宗少林山達磨寺霊符堂、黄檗宗閑臥庵鎮宅霊符神堂、天台宗行願寺鎮宅霊符神堂、大阪天満宮霊符社などに祀られている。
系譜
主要妙見宮
主要妙見宮
名称 | 国郡 | 所在地 | 社寺 | コメント |
---|---|---|---|---|
天白山妙見寺 | 河内国石川郡 | 大阪府南河内郡太子町 | 天白山妙見寺 | 妙見信仰発祥地の一つ。 |
八代妙見 | 肥後国八代郡 | 熊本県八代市 | 八代神社 白木山神宮寺 中宮山悟真寺 | 琳聖太子関連。八代妙見祭。亀蛇。 |
下松妙見 | 周防国都濃郡 | 山口県下松市 | 降松神社 妙見山鷲頭寺 | 琳聖太子関連。大内氏の崇敬。 |
能勢妙見 | 摂津国能勢郡 | 大阪府豊能郡能勢町 | 能勢妙見宮 無漏山真如寺 | 日蓮宗関連。 |
花園妙見 | 上野国群馬郡 | 群馬県高崎市 | 三鈷山妙見寺 | 坂東八平氏関連。 |
秩父妙見 | 武蔵国秩父郡 | 埼玉県秩父市 | 秩父神社 蔵福寺 | 坂東八平氏関連。秩父祭。 |
千葉妙見 | 下総国千葉郡 | 千葉県千葉市中央区 | 千葉神社 妙見寺 | 坂東八平氏関連。 |
相馬妙見 | 陸奥国行方郡 | 福島県相馬市・南相馬市 | 相馬中村神社 相馬太田神社 相馬小高神社 | 坂東八平氏関連。相馬三妙見。 |
諸国妙見宮
名称 | 国郡 | 所在地 | コメント |
---|---|---|---|
九戸妙見 九戸神社 | 陸奥国糠部郡 | 岩手県九戸郡九戸村長興寺第1地割10 | 九戸氏の氏神。 |
日高妙見 日高神社 | 陸奥国胆沢郡 | 岩手県奥州市水沢区日高小路13 | 水沢伊達氏などの崇敬を受けた。 |
日光山中禅寺妙見宮(廃絶) | 下野国都賀郡 | 栃木県日光市中宮祠2484 | 空海が日光山を訪れ、滝尾で修法を行じたとき、八葉蓮華池より大小二つの玉が出現した。大きな玉を妙見尊星、小さな玉を天補星といい、それぞれ堂宇を建てて祀った。このうち大きな玉を祀ったのが当宮という。1902年(明治35年)の山津波により中禅寺は倒壊。当宮も廃絶となった。 |
星田妙見 小松神社 | 河内国交野郡 | 大阪府交野市星田9丁目60-1 | 空海が獅子窟寺で仏眼仏母の修法を行ったところ、天より七曜の星が出現し、三つに別れて落ちた。その一つを祀ったのが当社という。残る二箇所は降星山光林寺の星御前と星の森の宮である。神禅寺があった。 |
久々知妙見 広済寺妙見宮 | 摂津国川辺郡 | 兵庫県尼崎市久々知1丁目3-27 | 源満仲が創建したとされる。日蓮宗。 |
但馬妙見 名草神社 | 但馬国養父郡 | 兵庫県養父市八鹿町石原1755-6 | 高野直夫幡彦が祖神を祀ったのが始まりとされる。式内社。中世には妙見菩薩を合祀したとされる。帝釈寺があったが神仏分離によって廃絶となり、日光院がそれを引き継いだ。県社。 |
但馬妙見 日光院 | 但馬国養父郡 | 兵庫県養父市八鹿町石原450 | |
阿知妙見 観龍寺妙見宮 | 備中国窪屋郡 | 岡山県倉敷市阿知2丁目25-22 | 妙見宮の創建は不詳。神仏分離により、社地が分離され、妙見宮は境内に遷座。妙見宮旧殿は阿智神社となる。 |
阿知妙見 阿智神社 | 備中国窪屋郡 | 岡山県倉敷市本町12-1 | 神功皇后が宗像三神を祀ったのが創始とされる。中世、これを妙見宮と称したという。阿知氏が奉じたという。県社。 |
氷上妙見 氷上山興隆寺妙見宮 | 周防国佐波郡 | 山口県山口市大内御堀410 | 下松妙見の分社。大内氏の氏神。 |
出雲妙見 長浜神社 | 出雲国出雲郡 | 島根県出雲市西園町上長浜4258 | 国引神話の旧跡。現在の祭神は「八束水臣津野命」である。式内出雲神社の論社。近代以前は妙見宮とされていた。1550年(天文19年)、大内義隆が太刀神馬を奉納している。県社。 |
足立妙見 御祖神社 | 筑前国企救郡 | 福岡県北九州市小倉北区妙見町 | 和気清麻呂創建とされる。足立山平愈寺があった。山頂に上宮、山腹に下宮がある。和気清麻呂旧跡。県社。 |