ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

存覚旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
1行: 1行:
-
'''存覚'''(1290-1373)は、[[浄土真宗]]の[[浄土真宗の人物旧跡|僧侶]]。[[覚如]]の長男。本来、本願寺を継ぐべき立場にあったが父との不和でかなわなかった。父から二度義絶された一方、地方の僧俗を指導し、地方教団の成立に多大な影響を与えた。門下には[[仏光寺]]([[京都・興正寺|興正寺]])了源、[[錦織寺]]慈空、[[大町専修寺]][[如導]]、[[誠照寺]]如覚などがいた。墓所不明。
+
'''存覚'''(1290-1373)は、[[浄土真宗]]の[[浄土真宗の人物旧跡|僧侶]]。[[覚如]]の長男。本来、本願寺を継ぐべき立場にあったが父との不和でかなわなかった。父から二度義絶された一方、地方の僧俗を指導し、地方教団の成立に多大な影響を与えた。門下には[[仏光寺]]([[京都・興正寺|興正寺]])[[了源]]、[[錦織寺]]慈空、[[大町専修寺]][[如導]]、[[誠照寺]]如覚などがいた。錦織寺4世に数えられている。墓所不明。
== 一覧 ==
== 一覧 ==

2017年10月27日 (金) 時点における版

存覚(1290-1373)は、浄土真宗僧侶覚如の長男。本来、本願寺を継ぐべき立場にあったが父との不和でかなわなかった。父から二度義絶された一方、地方の僧俗を指導し、地方教団の成立に多大な影響を与えた。門下には仏光寺興正寺了源錦織寺慈空、大町専修寺如導誠照寺如覚などがいた。錦織寺4世に数えられている。墓所不明。

一覧

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AD%98%E8%A6%9A%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール