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安倍文殊院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月13日 (金)

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'''安倍文殊院'''(あべ・もんじゅいん)は、奈良県桜井市にある、[[文殊信仰]]の[[南都仏教|南都]]寺院。古代の[[官寺]]二十五寺の一つ。[[安倍氏]]の氏寺。[[修験道]][[当山派]]の[[正大先達]]の一つ。[[単称華厳宗]][[南都仏教の本山寺院|別格本山]]。'''崇敬寺'''。(参考:同名寺院[[文殊院]])
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'''安倍文殊院'''(あべ・もんじゅいん)は、奈良県桜井市にある、[[文殊信仰]]の[[南都仏教|南都]]寺院。古代の[[官寺]]二十五寺の一つ。[[安倍氏]]の氏寺。[[修験道]][[当山派]]の[[正大先達]]の一つ。[[単称華厳宗]][[南都仏教の本山寺院|別格本山]]。'''崇敬寺'''。'''安倍寺'''。(参考:同名寺院[[文殊院]]、[[安倍寺]])
[[多武峰]]の[[大和・妙楽寺]]の旧本尊の釈迦三尊像が遷されている。  
[[多武峰]]の[[大和・妙楽寺]]の旧本尊の釈迦三尊像が遷されている。  
==歴史==
==歴史==
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大化元年(645)、左大臣阿倍倉梯麻呂が創建したと伝える。元は現在地の南西300mのところに法隆寺式伽藍が建てられていた。
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大化元年(645)、左大臣阿倍倉梯麻呂が創建したと伝える。元は現在地の南西300mのところに法隆寺式伽藍が建てられていた。これを[[大和・安倍寺]]として区別することもできる。
文暦元年に再建を伝え、この頃に現在地に移ったとみられる。
文暦元年に再建を伝え、この頃に現在地に移ったとみられる。
永禄6年に兵火で伽藍焼失。順次再建された。
永禄6年に兵火で伽藍焼失。順次再建された。

2023年1月13日 (金) 時点における最新版

安倍文殊院(あべ・もんじゅいん)は、奈良県桜井市にある、文殊信仰南都寺院。古代の官寺二十五寺の一つ。安倍氏の氏寺。修験道当山派正大先達の一つ。単称華厳宗別格本山崇敬寺安倍寺。(参考:同名寺院文殊院安倍寺

多武峰大和・妙楽寺の旧本尊の釈迦三尊像が遷されている。

歴史

大化元年(645)、左大臣阿倍倉梯麻呂が創建したと伝える。元は現在地の南西300mのところに法隆寺式伽藍が建てられていた。これを大和・安倍寺として区別することもできる。 文暦元年に再建を伝え、この頃に現在地に移ったとみられる。 永禄6年に兵火で伽藍焼失。順次再建された。

伽藍

  • 本堂
  • 金閣浮御堂:弁財天と共に安倍一族を祀るという。
  • 晴明堂:安倍晴明が天文観測をしたという。
  • 白山神社:鎮守
  • 稲荷神社
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%96%87%E6%AE%8A%E9%99%A2」より作成

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