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安居神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年12月5日 (日)
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- | '''安居神社'''は大阪府大阪市天王寺区逢坂にある神社。祭神は[[少彦名神]]、[[菅原道真]]。[[四天王寺]]に関連が深い神社の一つ。[[四天王寺関連旧跡]]。別当は[[四天王寺秋野坊]]だった。'''安居天神'''、'''安居天満宮'''とも。真田幸村の戦死の地と伝える。 | + | '''安居神社'''は大阪府大阪市天王寺区逢坂にある神社。祭神は[[少彦名神]]、[[菅原道真]]。[[四天王寺]]に関連が深い神社の一つ。[[四天王寺関連旧跡]]。別当は[[四天王寺秋野坊]]だった。'''安井神社'''、'''安居天神'''、'''安居天満宮'''とも。真田幸村の戦死の地と伝える。 |
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- | + | 天神山または安井森と称す。 | |
- | + | 創建不詳。菅原道真が左遷の途中に立ち寄り休んだ地と伝え、安居の名の由来となったという。942年(天慶5年)8月20日に道真を合祀したという。芝原祭という神事があった。あるいは四天王寺夏安居を行うための安居院がこの地にあったとも伝えるが、安居院の伝承ははっきりしない。1365年(正平20年/貞治4年)の秋野坊の譲状に「安居天神」とあり、この頃から秋野坊の管轄下にあったらしい。 | |
+ | 1406年(応永13年)社殿再建。 | ||
+ | 1750年(寛延3年)9月、大丸呉服店創始者の下村彦右衛門が修復。以後、大丸の崇敬を得た。1907年(明治40年)金山彦神社を合祀。 | ||
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+ | 1945年(昭和20年)の大阪大空襲で焼失。1951年(昭和26年)、再建。 | ||
天王寺七名水の一つ、「安井」が境内に、「増井」が、安居神社の北にあった。 | 天王寺七名水の一つ、「安井」が境内に、「増井」が、安居神社の北にあった。 | ||
相坂を挟んで南側に[[一心寺]]がある。 | 相坂を挟んで南側に[[一心寺]]がある。 | ||
- | + | (『日本歴史地名大系』、『大阪府全志』ほか) | |
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2021年12月5日 (日) 時点における最新版
安居神社は大阪府大阪市天王寺区逢坂にある神社。祭神は少彦名神、菅原道真。四天王寺に関連が深い神社の一つ。四天王寺関連旧跡。別当は四天王寺秋野坊だった。安井神社、安居天神、安居天満宮とも。真田幸村の戦死の地と伝える。
天神山または安井森と称す。 創建不詳。菅原道真が左遷の途中に立ち寄り休んだ地と伝え、安居の名の由来となったという。942年(天慶5年)8月20日に道真を合祀したという。芝原祭という神事があった。あるいは四天王寺夏安居を行うための安居院がこの地にあったとも伝えるが、安居院の伝承ははっきりしない。1365年(正平20年/貞治4年)の秋野坊の譲状に「安居天神」とあり、この頃から秋野坊の管轄下にあったらしい。 1406年(応永13年)社殿再建。 1750年(寛延3年)9月、大丸呉服店創始者の下村彦右衛門が修復。以後、大丸の崇敬を得た。1907年(明治40年)金山彦神社を合祀。
1945年(昭和20年)の大阪大空襲で焼失。1951年(昭和26年)、再建。 天王寺七名水の一つ、「安井」が境内に、「増井」が、安居神社の北にあった。 相坂を挟んで南側に一心寺がある。 (『日本歴史地名大系』、『大阪府全志』ほか)